健康食品、化粧品、はちみつ・自然食品の山田養蜂場。「ひとりの人の健康」のために大切な自然からの贈り物をお届けいたします。
当社とネパールの人々との関わり、それは平成10年3月に当社代表山田英生が「熱帯養蜂会議」に参加するため同国を訪れた際、この国の人々の暮らしぶりに触れたことがきっかけです。
観光以外に主な産業をもたず、職業の不足や教育の立ち遅れなどが、ネパールでは根深い問題となっていることを知り、何か現地の人々の為に力になれることはないかと考えました。
そこで同養蜂会議で知り合ったシャム氏(ネパールの人々の経済的な自立を促すための活動に心血を注いでいる)を通じて、この国の人々を支援していくことを決意。帰国してからは、会社をあげて養蜂技術の指導をはじめ、文房具や古着を贈るなどの活動を通して、地道に同国の人々への支援を続けてきたのでした。
ただ、一方的に「金銭や物を贈る」といった支援の仕方はボランティアの方法として間違った方向に行ってしまうおそれがあります。当社はむしろ、私たちの活動によって、ネパールの人々が自立の方向を見つけてくれることが大事だと考えました。そしてその活動の一つが、このたびの「植樹活動」に結び付きました。
ネパールでは今、環境的にも資源的にも樹木の減少が深刻化しています。ですから、人々にとって木を植えるということは、再生への意思の表れでもあるのです。
私は、今回初めて現地を訪ねてみたのですが、ネパールの人々のそうした意欲に触れられたことが、何よりうれしく感じられました。
植樹をしているのはシャムさん(右)。参加者全員でネパール政府から支給された約15,000本の広葉樹の苗木を植え付けた
植樹を実施した場所には真っすぐ登れないほどの急斜面が多い
現地での食事風景。大きな木の葉の上にご飯を乗せ、カレー風味のスープをまぶしながら手でつまんで食べるのが習慣
さて、植樹活動を行なったのは、雨季に入って間もない7月1日と2日の両日。前述のネパール人で、日本語学校をボランティアで経営しているシャム氏らとともに私が訪問したのは、首都カトマンズからまっすぐ南へ下った地点にある「グセル村」という山村でした。
街から車で1時間、さらに徒歩で5時間という厳しい道のりを経てたどり着いた同村は、標高2,000メートル級の高地にある、言わば閉鎖された地域社会。ここではタマン族などの複数民族が、トウモロコシの栽培や水牛の飼育などを中心に、ほとんど自給自足の生活を営んでいました。
ところで今回この村で植樹が実施された背景には、もともと豊かに生えていた木を、都市生活者や観光旅行者の需要に応じて伐採し過ぎてしまった、という問題があることを無視できません。かけがえのない緑の資源を失っただけでなく、山肌が露わになって土砂崩れが頻発していることなどから、村人たちの植樹にかける想いには、並々ならぬものがありました。我々の想像以上の延べ260人の人々が参加し、当初は3,000本の予定だったにもかかわらず、人々の熱意により、15,000本もの苗木を植える事ができたのです。
起伏が多く、ほとんどが急斜面という現地での植樹は、慣れない私たちにとって想像以上の重労働。しかしその傍らで、大人たちを一生懸命に手伝う子供たち。親の背中を見ながら、大地に足をつけて育っていく輝く目をもった子供たちには、胸を打たれるものがありました。そこにはかつての日本が確かに持っていた大切な何か……経済的には貧しくても、人間の本当の豊かさのようなものが感じられたからです。
考えてみれば、貧しいとか、貧しくないとかいうのは、他との比較の問題でしかないのでしょう。実は彼らこそ、本当の豊かさを持っているのだと知ったことは、今回の訪問の大きな収穫でした。
そして私たちは、こうした真実の姿をきちんと踏まえた上で、今後もネパールの人々を支援していこうと思っています。そのためにもネパールの人々との息の長い交流関係を結んでいく必要があると、改めて強く感じました。一緒に汗を流し、1本1本植えた苗木が大地に根を張り、年輪を重ねていくように、我々と彼らの友情もしっかりとした幹に育てていきたいと思います。
表情がとても豊かなグセル村の子供たちと
藤善(右から3番目)と現地ボランティアグループのメンバー