ミツバチの童話と絵本のコンクール

山の神さまのこども

受賞乗松 葉子 様(東京都)

「健太、健太、みてごらん」
 父さんの声で、ぼくは目を開けた。バスはごとんごとんと揺られながら、山道をのぼっていく。
「あれが母さんのいる療養所だ」
 山のてっぺんに白い四角い建物が見える。あそこに母さんがいる。そう思うと、ぼくの胸はじわっとあつくなった。


 ここは、母さんのふるさとだ。ぼくは、夏休みの間、療養所のある、この山あいの小さな村で過ごすのだ。
 村には、母さんの妹、つまりぼくのおばさんが住んでいる。父さんは仕事で、町にもどらなければいけないから、ぼくはそこに一人で泊まることになっていた。
「ちゃんと、あいさつしろよ。朝寝坊したらだめだぞ。おばさんちは農家で忙しいんだから、できることは手伝わなくちゃ」
 父さんは、ここに着くまで、何度も同じことを言った。
「わかってるって」
 そう答えた時、いきなりごっとん! とバスが大きく揺れてとまった。
「丘の上療養所、丘の上療養所。終点です」


 病室に入ると、ぼくを見つけた母さんの顔がぱっと明るく輝いた。
「健太ぁ」
 ぼくは思わず、ベッドにかけ寄った。でも、いざ母さんを目の前にしたら、何も言えなくなってしまって、うつむいたまま、そっと母さんの白い手をさわるしかなかった。
 母さんはぼくをぎゅうっと抱きしめて、ああ、健太に会いたかった、うれしい、うれしいと何回も言った。
 なつかしい母さんのにおい。母さんは少し美人になったような気がした。髪がのびて、色が白くなって、顔もほっそりしたみたい。
「具合どう?」
 父さんが聞くと、母さんは
「今日は特別いいみたい。二人の顔を見たら、すぐにでも帰れるような気がしてきた」
 と言って笑った。

 夕方、おばさんが療養所に迎えに来てくれると、父さんは町へ帰っていった。
 家へ向かう軽トラックを運転しながら、
「ここは山の中でなあんにもないから、健太には退屈かもしれないけどさ。でも、大好きな母さんと毎日会えるからいいよね」
 とおばさんが言った。助手席で、ぼくは黙ってうなずいた。
 母さんが療養所に入ったのは、五月のはじめ。それからは小さなマンションで、父さんとぼくの二人の生活だった。ぼくも父さんも寂しいなんて一言も言わなかった。だって、一度でもそんなことを言ったら泣き出してしまうくらい、本当は寂しかったからだ。


「コンビニなんてないからね、ここが唯一のお店なの」
 坂の途中にある小さな雑貨屋の前に車をとめると、おばさんは
「待っててね」
 と店の中に入っていった。小さな店の棚には、お菓子やパン、洗剤なんかがごちゃごちゃと並んでいるのが見える。おばさんは店の人と話こんで、なかなか出てきそうにない。
 ぼくはすっかり退屈して、助手席からおりると、ぶらぶらと坂道をおりてみた。道のわきから、すぐ山に入る林道がつづいている。 空をおおいかくすように大木が枝を広げていて、そのすきまから無数の線になって西日が差し込んでいる。山の奥へと続く一本道は金色の光に包まれていた。
 なんてきれいなんだろう。
 ぼくはすいこまれるように、その林道に入っていった。
 ギャアギャア!
 突然、かん高い声とともに、大きくて黒いものがバサバサッと飛び立った。
「うわあ」
 ぼくは仰天して、とっさに頭を抱えると、山道をかけて逃げた。しばらく走ってから、おそるおそる、あたりを見回すと、林の中はしんと静まり返っている。大きな鳥が、ぼくに驚いて、飛んでいっただけだったのかもしれない。
「ああ、びっくりした」
 今、来た道を戻ろうとして、どきんとした。道が二股にわかれている。
 あれ?どっちだっけ?
 とくんとくん、と心臓がなっている。落ち着け。入口からまだほんの少ししか入ってないはずだ。
 右側の道を少し進んでみて、もしちがったら、もう一度戻ればいい。ぼくは自分にそう言い聞かせながら、右側の道を進み……ちがう、この道じゃない!と立ち止まった。
 すぐに引き返して、今度は左側の道を歩き始めたけれど、また別の細い道があらわれた。この道もちがう。ぼくはどっちから来たんだ?
「おばさーん」
 ぼくの弱々しい声が暗くなりはじめた山にすいこまれていく。
「おばさーん。聞こえないのお?」
 ほとんど、半分泣き出しながらさけんでいた。
 ざあざあざあ。
 まるで、ぼくを山の胃袋にのみこもうとしているかのように木々が体をゆらしている。

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