ミツバチの童話と絵本のコンクール

はちみつの思い出

受賞米沢 百輝 様(山梨県)

 一九四五年八月十五日。第二次世界大戦がおわり、そのよく年の四月に、ぼくは金太郎といっしょに日本に帰ってきました。
 金太郎の、あの、おかしな、とくいわざは、十五さいになって、ぽっくり亡くなる日までつづきました。
 十五さいになって、金太郎は耳も遠くなり、白内障という目の病気にもかかっていましたが、見かけは、とても元気でした。
 ある日の午後。庭のしばふの上で体そうをしているぼくのそばに、金太郎が近づき、ズボンのすそをくわえて、ぐいとひっぱり、しりもちをつかせた、ぼくの体の上に、馬のりになった金太郎が、きゅうに、よこにたおれました。
「おい、金太郎、どうした。」
 と、こえをかけたとき、金太郎はすでに、いきをひきとっていました。
 金太郎が少年兵をたすけてから、四十年たった年の春のある日。見もしらぬ中国人の男女が、ぼくをたずねてきました。とても品のいいふたりです。男はにっこり笑ってスーツケースの中から、古びた四角のかばんをとりだして、ぼくにさしだしました。
「おあずかりしていました。」
 見ると、それは、かつての日本陸軍の兵士のかばんです。ぼくの名ふだがついています。
「あんたは、あのときの、少年兵…。」
「そうです…。」
 男はいきなり、ぼくにしがみついて、子どものように、わっと泣きだしました。
 四十年前の少年兵は、いま、中国で有名な胡弓の名手になっていたのです。女の人は彼の奥さんでした。
「あの、わんちゃんは、そのご、どうなりましたか?」
「十五さいまで生きました。」
「これは母からのプレゼントです。」
 そう言ってスーツケースの中から、とりだしたのは、アカシヤのはちみつのびんでした。
「あの夜のんでいただいたコーンスープのはちみつです。このはちみつを、なめれば、わたしたちのことを思いだしてくださるにちがいないと、母が言って、ぼくにもたせたのです。」
 この日いらい、ぼくは毎日アカシヤのはちみつを欠かしたことがありません。はちみつをなめると、少年兵の母親のやさしい笑顔と金太郎のすがたがよみがえってくるのです。

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