健康食品、化粧品、はちみつ・自然食品の山田養蜂場。「ひとりの人の健康」のために大切な自然からの贈り物をお届けいたします。
「どうしたの?なにか、つらいことがあったの?」
さおりは、じぶんのつくったおはなしが現実になってしまった不思議も忘れて、黒うさぎにたずねました。
「実は、わたしの大切な友人である白うさぎが、店の台所でころんで、頭をオーブンにぶつけまして……記憶を失ってしまったのです」
「たいへん!なにもかも、わすれてしまったの?」
「そうです。ケーキのレシピも、それから、わたしのことも」
黒うさぎはしょんぼりと、肩をおとしました。
「わたしは何とか記憶をとりもどさせようと、いろいろ考えたのです。そうして、思いつきました。まず、砂糖草のハチミツのにおいをかがせてみることです。ちょうど店に残りがなかったので、苦労して手に入れてきました」
黒うさぎは机の上に小さな瓶を置きました。中に黄金色のハチミツがはいっています。
ふたはきっちりしめられているのですが、ふくよかなにおいが台所いっぱいに満ちています。これだったんだ、とさおりは思いました。
「においをかがせるだけでは、足りないかもしれません。ですから、あなたがつくってくれたおはなしを一緒に読み聞かせることで、白うさぎの記憶を取り戻そうと思うのです」
「記憶、もどるかな」
「きっと。お願いです、どうか、この〈おはなし帳〉をわたしにゆずっていただきたいのです」
さおりは迷わず、うんと答えようと思いました。けれども、ある好奇心がそれを邪魔します。黒うさぎは不安そうに、さおりの顔を見ています。「あの、もちろん、このノートはあげる。でもね、ひとつだけお願いがあるの。ハチミツを、ちょっとだけ味見させてもらってもいい?」
黒うさぎはほっとした様子でした。
「もちろんです。とても甘いので、ほんのちょっぴりにしたほうがいいでしょう」
さおりは一番小さなスプーンをさがして、先のほうにハチミツをたらしてもらいました。これだけで、焼きたてのケーキがたくさん並んだお店に迷い込んだように、すばらしいにおいがします。
おそるおそる、口に運びました。
「あ、おいしい」
「くどくなく、上品な甘さです。にんじんとの相性はばつぐんですが、オレンジと組み合わせても、たいへんすばらしいケーキが焼きあがるでしょう」
黒うさぎは、ハチミツの説明をするときばかりは、するどい目つきもやわらぐのでした。
「ありがとう。あなたたちの物語、まだ終わっていないんだ。だから、完成させるね」
「では、執筆がはかどるように、わたしはピアノを弾きましょう」
黒うさぎは、居間にあるピアノを指差しました。
さおりは黒うさぎの曲を聞きながら、物語を完成させました。白うさぎが記憶を失って、黒うさぎの助けによって記憶を取り戻すところもつけたしました。
「できたよ、はい、どうぞ」
さおりはノートを黒うさぎにわたしました。黒うさぎは〈りんごハチミツのかがやき〉という曲を弾く手を止めて、にっこりわらってふりむきました。
「ありがとう。それでは、わたしは白うさぎのところへ急ぎたいと思います」
「うん。うまくいくといいね」
黒うさぎはコートを身にまとい、背中にしょっていたかばんに、ノートをしまいました。
玄関を開けると、雨はややこやみになっています。
「さようなら」
雨の中に、黒うさぎは飛び出してゆきました。いっこくも早く、白うさぎのもとにたどり着きたいのでしょう。
「さようなら」
さおりは手をふって見送り、また、玄関の鍵をしっかりしめました。
扉にもたれかかり、さおりは深呼吸しました。
「信じられない」
おかあさんもまほも、まだ帰ってこないひとりきりの家ですが、さおりの心はうきうきしたままです。黒うさぎのおかげです。
「雨の日って……こんな不思議なことも起こるんだ」
さおりはつぶやきました。
もし、今日が晴れていたら、たとえ同じことをしたとしても、きっと黒うさぎはたずねてこなかったでしょう。なぜだか、そんな気がするのです。 耳の奥には、黒うさぎの弾いた曲の旋律が残っています。さおりが一番気に入ったのは〈ひとやすみでひとやすみ〉というゆったりした曲でした。 そして、さおりの舌は、あのすばらしいハチミツの味が残っています。それから、鼻は、砂糖草のにおいを覚えています。黒うさぎが帰ってしまうと、あれほど部屋に強くかおっていたにおいだというのに、夢のように消えてしまいました。
次のおはなしをかこう、とさおりは思いました。今度の主人公は、ハチミツ屋の黒うさぎです。もちろん白うさぎも登場します。「ノートをさがさなきゃ。新しい〈おはなし帳〉を」
楽しい物語が書けたら、また黒うさぎが会いにきてくれるかもしれません。記憶をとりもどした、白うさぎも一緒に。
きっと、太陽のにんじんケーキを焼いてきてくれることでしょう。
「たのしみ、たのしみ」
さおりはにっこりわらいました。