健康食品、化粧品、はちみつ・自然食品の山田養蜂場。「ひとりの人の健康」のために大切な自然からの贈り物をお届けいたします。
きっかけはハチミツ入りのコーヒーだったと思う。僕のちょっと人騒がせで、ささやかなクエストの。
中学に入学してひと月たった、五月の連休明けの雨の日だった。
その頃にはすっかり、ひまな時には同級生のお父さんがやってる『ハニー・ビー・ガーデン』っていう喫茶店に寄るのが、当たり前みたいになっていた。
僕、森村凉太は、一応美術部に入部したのだけれど、これが展覧会や学習発表会の前以外ごくひまという、ある意味僕むきの部活だった。このところ雨が降り続いたこともあって写生にも行けないし、店が居心地いいこともあって、何となく寄ってしまってた。要するに僕自身ひまだったんだ。
同級生は波多野純といって、名前も、そして見た目も紛らわしいのだけれどこれが女子。初めて会った時、思い込みの激しい僕はてっきり男と勘違いしてきまりわるい思いをしたのだけれど、女の子だと分かった後でも入学式の純のスカート姿はオドロキだった。
でもちゃんと制服を着てきたのはそれ一回きりで、後は毎日ジャージ。僕はなんとなくほっとしたものだった。
もっとも今のところ、ジャージ着用は動きやすいからで、運動部の朝練のためじゃない。純はどこの部活にも入らなかった。
「小六までソフトの豪速球投手でならしたんだろ。何でやめちゃうの。オリンピックの種目じゃなくなったから?」
「そういうわけじゃないよ」
純はいつもののほほん、とした笑顔であいまいに言った。もっとも、スポーツ万能で背も高い純には、ほとんどの運動部から勧誘があったらしい。でもその全部を純は断ってしまった。
僕がなんで、って顔をし続けたからだろう。純はちょっと笑って、店の中を見まわしながら言った。
「ほら、この店手伝わなきゃいけないし。何ていったって、私がたった一人のウェイトレスなんだから」
店の名前のハニー・ビーは、英語でミツバチのこと。その名のとおりの可愛い店だ。
コーヒーの他に紅茶やハーブティも出して、ハチミツを添えるのがちょっとしたウリ。軽食はミックスサンドとピザトーストだけ、ケーキセットも今のところは、ホットケーキ、ワッフル、チーズケーキの三種類だけだけど、自家製でみんなおいしい。
そういえば、ほんとは帰りに喫茶店に寄るのは禁止だけど、同級生の家でもあるしと、友達のタカシを連れてきた事があった。
一緒に美術部に入った、小学校からの仲良しだし、あいつもケーキ好きだしな、と思ったからだ。宣伝にもなるし。
けど、一緒に来たのはその一度だけ。タカシの一言に、僕がちょっとイラッときたせいだった。
この店の壁には、六角形の形が集まった蜂の巣のような飾り棚がある。タカシはそれを見て、
「こういうのってハニカム構造、っていうんだよね。ハニカムだけに蜂もはにかむ、なんつって」
と言ったのだった。
そう、タカシは、中学一年、十二歳にして、思いついただじゃれは言わなきゃ気が済まないというオヤジみたいなヤツなのだった。ここだけは本当に僕は我慢がならない。
僕がほんとに怒ってるのを見て、純がまあまあ、と間に入った。けど、僕は二度とこいつを誘うもんか、と、心に決めてしまったというわけ。
それはともかく、このこじんまりした店内が、満員になっているのをまだ僕は一度も見たことがない。黒いジーンズに腰ばきのエプロン姿の純を、可愛い男の子と勘違いした高校生のお姉さんグループが来てたことあったけど、そのくらいかな。
そんなに忙しいことないだろ、という気持ちが顔に出てたらしい。僕の心を読んだように、純はつけ加えた。
「それにね、常連さんもできたんだよ」
ふとみると奥の席に、女の人がひとり座って、本を読みながら何やらメモを取っていた。長い髪を後ろで束ねただけで、お化粧はしてなかったけど、さっぱりした感じの、きれいな人だった。
「知ってる?作家なんだよ。山崎ちさと、っていうんだけど」
ジュニア向けのミステリーを書く人だ。その手の本は好きなので、僕も知っていた。
「ああ、なん冊か読んだことある。それに息子がウチのクラスにいるんだよ」
「あ、だよね。私もそれは聞いたことある。仲いいの?」
「何度か話したくらい。あんなきれいなお母さんがいたなんて意外」
「うん、私も思った。いつも、ひとりで来て、蜂蜜添えのコーヒーを注文してくれるんだ」
「蜂蜜?コーヒーに?」
「うん。飲んでみる?」
正直、僕はコーヒーの苦みは好きじゃない。だけどお子様と思われたくないのと、山崎ちさとという人が何となく気になったので、ちょっと飲みたくなって、ついうなずいた。
純はコーヒーと一緒に、ガラスの小さな容器に入った、黒蜜みたいなものを持ってきた。
「これ、蜂蜜なの?」
「そう。コーヒーの花の蜂蜜」
溶かして飲んでみると、不思議な味がした。やっぱり苦い。でも胸の奥にすうっと、吸い込まれてく感じ。悪くないかも。
味わっているうち、ふっと思い付いた。
「これから図書館行ってくるよ、町の」
「ああ、この店からは近いよね。でも何で急に?」
「本が読みたくなったんだ。雨で暇だし」