ミツバチの童話と絵本のコンクール

はちみつとやもりのわらう夜

受賞杉本 康平 様(神奈川県)

1

 じいちゃんはやもりの鳴きまねが上手だった。あのころは夜になるとやもりが鳴いた。じいちゃんも鳴いた。じいちゃんは夜でなくても鳴きまねをした。不思議な声で、なんだか笑われているような気になってしまう。
 じいちゃんはやもりが好きだった。やもりを神様のように思っているみたいだった。「やもり様」って呼んでいた。やもりが天井を這って姿をあらわすと、「こうちゃん、やもり様がやってきた!はよ、おいで」と大きな声を出して僕を呼んだ。ぼくはというと、あまりやもりは好きじゃなかった。だってなんとなくずるいやつのような気がして。
 だからというわけではないけれど、もともと僕はじいちゃんがそれほど好きってことはなかった。かと言って嫌いってわけじゃないけど。じいちゃんはあぐらをかいた足の間に僕を乗せて、よくはなしをしてくれた。すごく楽しいはなしや、ちょっと悲しいはなし。
 はなしをするとき、じいちゃんは青梅をはちみつに漬けた特製のドリンクを作って、飲ませてくれた。これはもう最高で絶品だった。どうやったらこんなおいしいものが出来るのだろうと思って僕は訊いた。
「梅の実をたっぷりのはちみつに漬けておいてな、飲むまえにちょこっと魔法をかけてやる」梅とはちみつとちょっとの魔法。このちょっとの魔法がなんだったのか、今でも僕には分らないままだ。
 どこの家にもこんなじいちゃんがいるんだろうと思っていた。ちょっと魔法が使えて、はなしをたくさんしてくれる。「やもり様」やひぐらしの鳴きまねなんかする。
 じいちゃんはいつも家にいた。僕が学校から帰ると、何か食いながら「お帰り」って。あるとき僕はそっと訊ねた。
「じいちゃんは仕事をしないの?」
すると、じいちゃんの顔のしわが生き物みたいにごそっと動いて、言った。
「じいちゃんはいままでたくさん働いた。もう十分。ただ、あとひとつだけ仕事が残っている。大きな、仕事だ。じいちゃんはちょっと、怖い」
「じいちゃん、怖いの?危険な仕事なの?」
「分からん、きっと・・・」それだけ言って、何か考えこんでいるみたいだった。黙ったまま立ちあがると、じいちゃんは僕にいつものはちみつのドリンクをつくってくれた。じいちゃんの足の上に座って、ドリンクを飲みながらじいちゃん話しが始まるのを待った。
「今日はじいちゃんとやもり様のはなしをしよう」そう言って、じいちゃんはやもりの鳴きまねを一つした。

「じいちゃんの生まれた家は子供がたくさん、兄弟が全部で十二人もいたもんだから、だれかとだれかをくっつけて、大きいもんが小さいもんの面倒を見るってことになっておった。じいちゃんは七つ下の弟とセットだった。
 じいちゃんはどこへ行くにもちびを連れて行った。田んぼで手伝いをするときも、近所の子らと遊ぶときも。ちびは泣き虫でな、外で何かしているときも、しょっちゅう泣かれて、じいちゃん困ったわ。
 ある晩、ちびがまた泣き出した。そのときはおとうもおかあもいなくて、ちびはいつまでたっても泣き止まん。聞いたことある子守唄をはしから歌っても、むかしばなしをしてやっても、抱き上げてゆすってやっても泣き止まん。このときはもうお手上げでな、ただもう、だまってちびに並んで横になって、涙が耳の穴をよけて落ちるようすなどをながめておった。
 そこへ突然、ヌッとおっきなやもり様がたんすのかげからあらわれて鳴き出した。だれかが笑いだしたかと思った。はじめて見るやもり様にちびの目はまんまるになった。涙もぴたりと止った。それまでは、ちびの体の水を出し切っちまうんじゃないかというほどたくさんの涙が流れておったと言うのに。それで、ちびはやもり様の鳴き声がさぞ気に入ったらしく、まねをしはじめた。じいちゃんもためしにまねをした。それがびっくりするほど似ておってな、ちびもおおよろこびだった。
 それからはな、ことあるごとにちびにせがまれて、じいちゃんの鳴きまねはますますやもり様らしくなっていった。何べんやってもちびはおおはしゃぎ。「ヤモイ、ヤモイ」と言ってよろこんだ。ちょっとでもちびがぐずりだせば、じいちゃんはすぐにやもり様のまねをした。ちびもいっしょにまねをした。田んぼのあぜで、夜寝るまえにふとんで。ちびはいくらやってもうまくならなかった。飯のときだけはおかあにやめろと言われた。
 ある日、どうもその日のちびは元気がないみたいだった。あぜにこしかけずっとうつむいたまま。じいちゃん気になってそばへ寄って行った。「ほら、やもり様いるよ」そう言って鳴きまねすると、ちびはかすれて消え入りそうなこえで「ヤモイ・・・」。のぞきこむと白目をむいておった。
 こりゃいよいよ一大事とあわててちびを背負ってな、家へ一目散に走った。走りながら、ちびの熱いのがじいちゃんの背中に伝わってくるのが分かった。じいちゃんそりゃもう夢中で、あらん限りの力で走った。
 その三日後ちびは死んじまった。
 じいちゃんはな、夏の夜、やもり様がわらいごえをたてるたんびに、ちびのことを思い出してな、涙がでてくる。涙が目からこぼれそうになってむねがつまる。でも、ちびがやもり様に姿を変えて、じいちゃんに話しかけているのかと思うと、その涙はこぼれずにじきにさぁっと引いてな、なんだかおだやかな気分になる。それからやもり様の鳴きまねをする。そしたらもうすっかり、ちびのことでの悲しい気持ちはなくなっちまうんだ」

 やもりがケケッと鳴いた。僕の肩にしずくが落ちた。見上げると、じいちゃんの目からは涙があふれていた。しわを伝って目じりから顔の輪郭を流れ、あごの先から落ちる。じいちゃんが泣くのをはじめて見た。大人が泣くところを見るのは初めてだった。じいちゃんは涙をそのままに、はちみつのドリンクをごくっとのどに押し込んだ。僕もつられて飲んだ。飲みこもうとすると、のどのところがつまったみたいに苦しくて、うまく飲みこめない。僕はじいちゃんの涙を見て、悲しい気分になっていたんだ。ふたりでおいしいねって笑った。じいちゃんが言った。
「人生はな、こうちゃん、失ったり手に入れたり、なくしたと思ったらほんとは持っていたり、そんなことが多いよ。いくら大事なものでも、なくすまいと思っていても、なくなっちまうことはある。悲しいね」。じいちゃんは僕の頭をポンポンポンと三つたたいて、それからやさしくなでた。そのとき僕には、じいちゃんの言う、なくしたり手に入れたりっていうのがどういうことなのか、よく分からなかった。僕には父ちゃんも母ちゃんもじいちゃんもいたし、ばあちゃんやちびは生まれたときからいなかった。でも、じいちゃんが好きと思うようになった。魔法みたいだった。

2

 じいちゃんは夕日が好きだった。じいちゃんに誘われて、よく夕日を見に行った。家から少し歩いて丘を上ると、見晴らしのいいところがあった。空が紅くなり始めるころ、じいちゃんは僕に「夕焼け見に行くか」って。たいていは僕は一緒に行った。丘から眺める景色は夢の中みたいだった。紅く眩しい夕日に、周りのものがすべて染まっていった。下のほうの田んぼに夕日が映って、なお眩しかった。目をつむると、まぶたの裏まで紅く染まった。僕は紅い色に包まれて黙ったまま、太陽が沈むのを見ていた。となりでじいちゃんも黙って見ていた。
 日が暮れて、丘を下りて帰る途中、じいちゃんはよくこんなことを言っていた。
「去って行くものは追わずに黙って見送るに限る。寂しい気持ちもするが、そこはじっとこらえるんだ。ひとつの仕事を終えた荘厳な夕日の姿は、胸に染みるな。あの夕日は、今もどこかの空で朝日となって上っているんだ」
「じいちゃん、僕に難しいこと言ったって、なんのことか全然分からんよ」
僕がそう言うとじいちゃんは、
「そうか、難しいか。まあ、こうちゃんも大きくなれば分かるさ」と言って笑ってた。
「大きくなったらって、どれくらい?何歳くらい?」
「どうだろ、十五歳くらいかな」
「僕、寂しいのはいやだな。大きくはなりたいけど寂しくないのがいいな」
「そうか、いやか。そうか」じいちゃんはそう言って僕の手を握った。しわだらけのごつごつしたかたい大きな手だ。
「僕、夕日は好きだよ。朝日を見ると元気になるけどね、夕日の方が好きだな。やさしくて。でも、ちょっと悲しい」
紅から紫、青が濃くなっていく空に、一つ二つと星を見つけながら、僕たちは手をつないで丘を下りた。

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