山田英生対談録

予防医学 〜病気にならないために〜

竹熊 宜孝氏×山田 英生対談

食生活の改善が、 医療を救う第一歩。

病気を診て病人を診ず

「治す」から「防ぐ」医学へ
山田

先日、菊池養生園で竹熊先生の養生説法を直接お聞きすることができました。食と「いのち」とのつながりから、その食を生み出す農業、さらに医療のあり方まで幅広くお伺いし、改めて「いのち」の大切さについて学ぶことができました。先生は、かつては熊本大学病院で血液学を専門にご研究され、その後農村医療に転じられましたが、その一方で、暴飲暴食という自らの体験から「食は病の根源」であることを悟られ、「医と食と農の連携」という極めてユニークな実践をされて来られました。これからの医療は治療中心から予防へと軸足を移しつつありますが、先生の取り組みは、予防医学の視点から見ても大変貴重な試みだと思っています。

竹熊

私も大学病院時代は、薬物治療、器械とデータを重視した現代医学一辺倒で、自分のテーマである血液の研究に没頭するあまり、病気ばかりをみて肝心の病人を診てこなかった点は否めません。また、自ら不養生の極みで食いわずらいとなったのを機に、人間全体を見つめる「いのちの医療」の大切さに目ざめ、医から食への模索、そして農への志向となったのです。

山田

今、日本の医療は、医師不足や救急体制の不備、医療費の増大など多くの問題点を抱え、地域医療は崩壊の危機に瀕しています。特に医師不足は深刻で、病院の勤務医は大変な激務で満足に休む暇さえありません。お産や救急の担当医は四六時中、呼び出され、医療ミスがあれば裁判に訴えられるリスクも抱えています。中には手術のほかに雑用まで引き受け、夜もほとんど寝ないで、翌日手術に入る外科医もいると聞きました。これでは外科医を敬遠する若者がいても不思議はありませんね。

医師不足補うNP制度

竹熊

医師不足は、私の住む地域でも例外ではありません。病院関係者や首長さんたちも私のところへよく来られ、「先生、誰かいい人がいたら紹介していただけませんか」と医師探しを頼まれることも結構ありますよ。でも、医師不足といっても、何も今に始まったことではありません。昔から医療は都市中心で、過疎地域では無医村のところも多かったし、山村では医師不足が常態化しているところもありました。

山田

医師不足は、私たち医療を受ける側にも反省すべき点があると思いますね。例えばちょっとしたことでもすぐ救急車を呼び、かかりつけ医でも十分対応できる軽微な症状でも大学病院や総合病院に駆け込む。元々、大学病院の使命は、教育や研究にあり、総合病院は重篤な患者さんや急患を診るのが本来の役目ではないでしょうか。何でもかんでもこうした大病院に頼るのはどうかと思いますね。本来、軽い症状の処置や投薬などは、かかりつけの開業医、手術や大がかりな検査の場合は、大学病院や総合病院というように、ある程度、役割分担をしないと、病院の医師不足はなかなか解消しないし、勤務医の激務も改善しないと思います。今、医師に代わって看護師が軽度な診療行為を行うナース・プラクティショナー(NP)の導入が注目されていますが、医師不足改善の切り札になるでしょうか。

竹熊

やっと、日本でもいくつかの看護系大学などで養成講座が始まりましたが、多忙な医師の負担軽減にもなるし、看護師のやりがいにもつながるでしょう。だから私は賛成ですね。ただ、「医師でなければ医療行為はできない」という医師法の壁もあり、なんとかこれをクリアして実現にこぎつけてほしい、と思いますね。私の娘は今、アメリカで看護の仕事をしていますが、娘に聞けばアメリカでは看護師などの専門職が医師の仕事の一部である診察、診療行為を行うのは、当たり前で、実際多くの看護師などがNPの資格を取り、医師の仕事を支え、患者さんにも大変喜ばれていると話していました。

山田

看護師さんの仕事といえば、一般的に医師による診療の補助的な仕事のように思われがちですが、実際、患者さんとは常日頃から接触し、その辛い思いや、どのような処置を望んでいるかも医師以上に分かっている人も多いでしょう。確かに法律上の壁はありますが、看護師さんが簡単な治療や診察を施したり、薬を処方できれば、医師の負担軽減だけでなく、より良いチーム医療を目指すうえでも大きな前進になるでしょう。ぜひ、日本でもNPの制度を導入してほしいですね。

竹熊

同感ですね。看護師は医療のエキスパートですから。これまでの医療は、あまりにも医師が独占しすぎたきらいがあります。それが、結果的に医師の責任を重くし、激務につながったのではないでしょうか。医師が医療を独占する時代は、もう終わったと思いますね。

変わる医療機関の対応

山田

それにしても、最近感じるのは、患者に対する医師や医療スタッフの皆さんの対応がずいぶんと変わってきたことですね。言葉使いや接し方など患者さんに気を配る医療機関が増えてきたような気がします。以前でしたら、医師はあまり問診もせずに、患者をすぐ血圧測定や血液、尿などの検査に回し、薬を出して終わる-というのがパターンだったような気がします。それが、このごろは、インフォームドコンセントの考え方が定着したせいか、薬にしても「なぜ、その薬を出したのか」をきちんと説明してくれるようになりました。それまでは、いろいろ聞きたくても患者の立場からは聞きづらい雰囲気がありましたし、薬の説明はほとんど薬剤師さん任せといった感じでした。その点、先生は問診もじっくりされると伺っていますが…。

竹熊

患者さんの既往症から家族の病歴、食生活、生活全般まで時間をかけて詳しく聞くようにしています。なぜかといえば、病気を診る前にまず病気の背景を知りたいからです。医学生時代、頭のてっぺんから足のつま先まで、じっくり聞くよう教授から指導を受けましたし、また問診や触診などにたっぷり時間をかける東洋医学をかじった影響もあると思いますね。いろいろ時間をかけて聞き出せば、病気の背景も把握できますし、患者さんだって安心します。一般的に医師は、あまりにも忙しすぎるため患者さんとの対話も十分でなく、それが原因で信頼関係が薄れることだってあるんですよ。「医は仁術」と言いますでしょう。医師は単なる技術者とか処方箋の書き屋であってはなりません。

専門的すぎる現代医学

山田

確かに問診や望診を通し、患者さんの顔色や表情、話の中に検査結果のデータだけでは読み取れない重大なヒントが隠されている可能性があるかもしれませんね。ただ単に血液や尿検査などの結果だけで判断されるとしたら、ちょっと怖い気がします。それと、もう一つ、最近の医学はどんどん専門的になりすぎて、病人をトータルで診られなくなってゆくような気がします。現代医学は、自然科学の上に成り立っておりますが、この科学は漢字で書くと「科の学問」と書きます。これは全体的、体系的につながったものを一つひとつ切り離して個々に分類した学問とも読めるのではないでしょうか。人間の体にしても、例えば血流はそれだけで存在しているものではありません。神経とか内分泌系とかが相互に連携しあって健康な体をつくっているわけです。対症療法にあまりにも終始すると、症状だけを追いかけがちになってしまいます。体全体がつながっているという視点をぜひ医師には忘れてほしくないですね。

竹熊

ご指摘のように、今の医師は、自分の専門だけを追いかけ、患者の身体全体を診ようとしない傾向が確かにあると思いますね。自分の専門領域にはすごく詳しいが、それ以外の分野はそうでもない。そのような医師は、結構多いですよ。昔はインターン制度があって、ひと通りの診療科目をマスターしなければ、国家試験に通りませんでした。私がインターン研修を行った東京・立川市の病院は指導が厳しくて、内科、外科、精神科など、ひと通り全科を実習し、宿直の晩にはお産の手伝いまでさせられたこともありました。

山田

お産までですか…。

竹熊

そうですよ。その後、1965年から1年半、本土復帰前の沖縄県の中部病院に指導医として勤務しました。私は内科担当で血液病を中心に診ていたんですが、この病院でも週1回、全科当直の勤務があり、交通事故から火傷、食中毒、心臓発作、脳卒中まで、時にはハブに咬まれた人までが飛び込んできて、病院内はまるで野戦病院のようでした。お陰でここでも鍛えられ、その後、医師として仕事をしていくうえで大変役に立ちました。

山田

こうした経験があったからこそ、人間全体を見つめる先生の今の「いのちの医療」があるのでしょうね。

健康リテラシーを磨く

竹熊

最近の医師をみると、どちらかといえば病める人を診るのではなく、病巣のある臓器を診る技術者になってしまった感がありますね。技術だけでは、病める人を癒すことはできません。医師は、病気だけを診るのではなく人間を、そして社会を診る確かな目が求められていると思いますね。

山田

本当にそう思います。年々増える医療費の増大も、確かに高齢社会の進展が背景にあるのでしょうが、病気を未然に予防できれば医療費を抑えることだって可能となるでしょう。こうした点からも今後、予防医学はますます重要になってくるのではないでしょうか。病気にならない健康づくりを目指すためには、食生活を中心とした生活習慣の改善が当然、必要になってきます。私たち一人ひとりが健康や食生活、運動などの知識を身につけ、健康リテラシーを高めて行くことが求められてくると思います。

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