健康食品、化粧品、はちみつ・自然食品の山田養蜂場。「ひとりの人の健康」のために大切な自然からの贈り物をお届けいたします。
尚 弘子氏×山田 英生対談
コーレーグース(島唐辛子)
コーレーグースという呼び名は高麗胡椒に由来する。泡盛に漬け込まれた調味料も同じ呼び名で親しまれている。
日本人の平均寿命は、年々伸び、最新の調査結果では女性が86.05歳、男性も 79.29歳を記録し、近い将来、「90歳を超えるのも夢ではない」と指摘する人さえいます。その一方で、急速な高齢化に伴い寝たきりや認知症高齢者が急増し、さらに高齢者の引きこもり、孤独死などが増えている状況は、看過することができません。長生きすることは、すべての人の願いであり、それ自体は、大変喜ばしいことなのですが、ただ単に命を生き長らえるのではなく、心身健康で自立した生活ができる健康長寿であることが望まれます。その点、沖縄の人たちを見ていると、90歳、100歳になってもお元気で、畑仕事をしたり、仲良く近所づきあいや地域の行事などに積極的に参加されています。しかも、皆さん、明るくおおらかで、いつも笑い声が絶えません。私は沖縄の長寿には、こうした心の健康も大きく影響しているような気がしてならないのですが…
そうですね。沖縄の長寿の要因として、温暖な気候や伝統的な食文化などはいうまでもありませんが、それと並んで命を大切にする心やお年寄りを敬い、先祖を大切に思う気持ち、さらに隣近所がお互いに助け合う習慣など精神的な面でのつながりが大きいと思いますね。確かに、沖縄は、小さな島々からなる島嶼の県ですから、高齢者だけの世帯や一人暮らしは、全国に比べ多いと思います。だからと言って、とりわけ「寂しい」と思っている人は、少ないのではないでしょうか。ちょっと、古い資料になりますけど、以前、県内に住む90歳以上の高齢者を対象に県が行った「高齢者生活実態調査」でも、70%近くの人が「孤独感をあまり感じない」「まったく感じない」と答えていました。孤独感を感じない背景には、家族との良好な関係やお年寄りを大切にする県民性、さらには近隣との垣根のない交流があるからと思いますね。
以前の日本は、多くの人の協力がなければ成り立たない農耕中心の生活だったため、祖父母、両親、跡継ぎの長男夫婦とその子供が同居する大家族制が当たり前でした。ところが、戦後の経済復興にあわせ、地方の農村部から若い働き手が次から次へと都会へ移って行きました。こうした産業構造の転換や核家族化、少子化に伴って、家族間の人間関係も薄れていったといってもよいでしょう。一方、農村部でも農作業の機械化に合わせ、それまで地域に残っていた助け合いの風習がなくなり、お互いに行き来する機会も減ってしまったのです。その結果、以前のような家族間の結びつきや地域の絆も失われたと思いますね。それに比べ、沖縄は、家族や地域のつながりがまだ残っていると言えるのではないでしょうか。
確かに本土に比べれば、残っているでしょうね。沖縄では、若者たちが仕事で都会へ行っても、両親を呼び寄せようと家を新築し、日当たりの良い部屋を準備するケースが多いのです。親のほうも最初のうちは、子供の気配りに感謝しつつ、一緒に暮らすのですが、そのうち都会の窮屈な生活が嫌になり、1週間もたたないうちに「田舎に帰りたい」と言い出し、結局、住み慣れた山の中のわが家に帰ってしまうのです。田舎には、仲のよい友達が隣近所にいるし、庭や畑でゴーヤ、冬瓜、ニガナ、ヨモギなど、好きな野菜や薬草をつくりながら、気ままにのびのびと暮らすほうが、心身の健康にもよいと思っているのでしょうね。野菜が収穫できたら、それを大鍋で炊いて料理を作り、親しい友人たちを呼んで一緒に食べるのです。気のおけない友達と、ワイワイおしゃべりをしながら一緒に食卓を囲むのは、本当に楽しいものですよ。次回は「だれだれの番」と言っては、持ちまわり制で食事会を開くのです。お互いに助け合うユイマール(相互扶助)という制度が沖縄にはありますが、この食事会が形を変えた現代のユイマールと言ってもよいのではないでしょうか。だから、一人暮らしであっても、それほど寂しさは感じません。私も、学生時代の友人や県庁にいた頃の仲間たちと今も、毎週のように食事をしたりしていますが、それは楽しいものですよ。
ユイマールは、本土においても昔、田舎でよく見られた田植えや屋根の葺き替えなどの時に近隣の住民が総出で助け合う「結い」から、きているのですね。
そうです。沖縄では農作業だけでなく、家やお墓をつくる時など人手が足りない時に、お互いに人手を出し合って、やりくりしたものです。かつては北海道から沖縄までどこでも見られましたが、今でも形を変えて残っているのは、沖縄ぐらいではないでしょうか。
地域がお互いに支え合う、古きよき時代の風習だったのでしょうが、やはり農型社会の崩壊で全国的に消えつつあるのは、寂しい気もしますね。
それともう一つ、先祖を大切に思う気持ちが長寿を支える要因として考えられるのではないでしょうか。先祖を大切に思う気持ちは、お年寄りを大切にすることにつながりますから。沖縄の人たちは、祖先の霊への報恩感謝の念をさまざまな形で表現することによって、子孫は祖先の霊によって守られていると信じています。例えば、沖縄の独特の行事として清明祭があります。旧暦3月の清明の節に行われるのですが、今では家族の都合のよい日を選んで新暦4月の休日に行う家が多いようですね。この日は、家族や親戚一同で先祖のお墓参りをするのですが、お花やお酒、重詰め料理、果物、菓子などを墓前に供え、焼香した後、みんなでご馳走をいただきながら、あの世の人とこの世の人が心を通わせ合うのです。地域によっては、墓前で三線の音に合わせて踊るところもあるようですよ。
沖縄らしい行事ですね。確かに、みんなで一緒に食べれば会話も弾み、食も進みますよね。それに比べて、本土では、元々、多くの人がそろって食事をする共食文化が、あまり育たなかったのではないでしょうか。それに加え、最近では家族が別々に食べる孤食が当たり前のようになってきました。私が子供の頃は、家族団欒が普通でしたので、最近の食事風景を見ると、寂しい気がしてなりません。やはり食事は、楽しく食べないとおいしくないですよね。香港や上海では、何人かで同じ食卓を囲み、実に楽しそうに語らいながら食べています。沖縄の清明祭も、やはり中国の食文化の影響を受けているのでしょうか。
4月ごろ、タイやシンガポールに行きますと、風呂敷のような物を持って、お墓参りに行く人たちとよく出くわしますよ。墓参風景が沖縄とそっくりなんですね。東南アジアは華僑が多いでしょう。やはり、中国の影響を色濃く受けていると思います。
最近、日本でも「ゆっくり、ゆったり、心豊かな生活」を目指すスローライフや「田舎暮らし」に憧れる人がだいぶ増えてきました。地域の自然、文化を大切にしながら健康を考え、環境にやさしい心豊かなライフスタイルを確立する考え方ですね。でも、こうした風潮は、何も今に始まったことではなく、戦後しばらくの間は、日本全国どこでも見られた生活スタイルではないでしょうか。当時は、暮らし向きは貧しかったとはいえ、豊かな自然や伝統的な食文化があり、家族の絆や地域の助け合いなどに支えられた心豊かな暮らしがありました。まさに、日常生活のすべてがスローライフの世界だったと言っても過言ではないかもしれません。
確かに、日本のどこでもゆったりした時間が流れる時代がありましたね。
それが高度成長を迎えた頃から、人の心がギスギスし始め、物質的な豊かさに反比例するかのように心の豊かさが徐々に失われていったのではないでしょうか。特に1990年代からのバブル時代と、その後の「空白の10年」が過ぎたころから、スローライフの考え方が出てきたように思いますね。そこには、競争、スピード、効率化をあまりにも求め過ぎた現代社会への反省があったのではないでしょうか。しかし、沖縄も本土化が進み、本来の沖縄らしさが失われつつあるとはいえ、まだまだ伝統的な食文化をはじめ、「イチャリバチョーデー」(出会えば皆兄弟)や「ナンクルナイサー」(なんとかなるさ)の言葉に代表されるような、おおらかで楽観的な県民性が残っています。こうした精神面も長寿を支える大きな要因ではないかと思いますが。
そう思いますね。前述した「高齢者生活実態調査」でも、「長生きの秘訣」を尋ねたところ、「楽しく生きる」が最も多く、次いで「食事」「体を動かす」の順となっており、まさに健康の三原則である休養(心の豊かさ)、栄養、運動をしっかり意識して毎日の生活を楽しんでいる様子がよくわかります。
健康で長生きするには栄養・食生活面での配慮は、いうまでもありませんが、それと、いくつになっても生涯現役の意識を忘れずに仕事や地域の活動を続け、十分な睡眠と適度な運動を確保し、クヨクヨしない、のんびりとした心の健康を保つことが非常に重要であることがよくわかりました。