山田英生対談録

予防医学 〜病気にならないために〜

尚 弘子氏×山田 英生対談

食べ物は、命の薬。長寿の原点は、ここに。

全国の先を行く長寿の島

イラブチャー(アオブダイ)

イラブチャー(アオブダイ)
沖縄では高級魚とされる。お刺身の他、揚げ物や煮付けにしてもおいしい。

山田

沖縄といえば、先の大戦で日本が唯一、地上戦に巻き込まれ、多くの住民を含む20万人近い犠牲者を出した悲劇の島です。戦後も27年間続いた米軍統治下や本土復帰後も一貫して基地の町として苦しみ、今も普天間基地の移設をめぐって揺れています。その一方で、女性の平均寿命は86.01歳とこれまでずっと日本一でした。100歳以上の長寿者の数でも、人口10万人当たり67.44人と37 年連続でトップです。明治の半ば、沖縄県を調査した京都帝国大学の松下禎二教授は「もし天寿を全うせんと欲せば、須らく沖縄島へ移住すべし。沖縄島は日本屈指の健康地にして安全なる船の如し」と当時の医学書(「沖縄島の衛生学的観察」)に書いていた、というのは、有名な話ですが、沖縄は、昔から長寿の島だったのでしょうか。

尚

そうです。私が調べた資料によりますと、日本人の第1回生命表が公表されたのが、明治24〜31年(1891〜1898)のもので、当時の平均寿命は、男子42.8歳、女子44.3歳でしかなかったのです。日本人の平均寿命が50歳を越えたのが1947年で、当時は「人生50年時代」と言われていました。その後、日本の復興、経済成長とともに平均寿命は急速に伸びたのですが、沖縄県は常にその先を行く長寿の島でした。1972年の本土復帰で、沖縄県が日本の統計資料の中に組み込まれて以来、男女ともずっと1位を維持し、1995年の「太平洋戦争・沖縄戦終結50周年記念事業」では、沖縄県が世界の長寿地域であることを高らかに宣言しました。残念ながら、男性は2000年には26位に滑り落ちましたが、65歳以上の男性の平均余命は、今でも全国トップを保っています。どうやら沖縄の人たちは、かなり昔から長生きだったようです。

温暖な気候も追い風に

尚

全国的に見ると、戦後の医療・公衆衛生の向上や乳幼児死亡率の低下、栄養状態の改善などが共通の要因として挙げられるでしょう。これに加え、沖縄県独自の要因としては 1. 温暖な気候 2. 健康と命の尊さに対する高い意識 3. 伝統的な食生活と食文化 4. ユイマール(相互扶助)の習慣と敬老精神 ――などが考えられますね。

山田

確かに沖縄は亜熱帯の海洋性気候の影響で、温暖ですよね。

尚

年間平均気温が22.4度と暖かく、年較差が比較的小さいため高齢者が1年中、屋外で活動しやすい、という特徴があります。夏でも33度くらいで、木陰に入ると海風が吹いてきて結構涼しいですよ。だから、ADL(Activities of Daily Living)、日常の「生活活動指数」が全国でも一番高いんです。それと、亜熱帯というのは、熱帯の北限であると同時に温帯の南限でもあり、熱帯と温帯がオーバーラップするところなんですね。だから、食材でもちょっと工夫すれば、熱帯、温帯の両方のものが手に入る、という非常に地理的にも恵まれた地域といえるでしょう。

山田

それは、うらやましい。沖縄の食は、健康食であると同時に長寿食でもありますが、その食を築き上げた根底には、命を見つめる沖縄の人たちの熱い眼差しというか、特別の思いがあったのではないかと私は思います。飽食という言葉に象徴されるように現代の食は、ともすれば美食を追求したり、高級食材を求めるなど、グルメに走りがちな傾向がありますが、沖縄の人たちには、「食は薬なり、命なり」との思いから、命を育み、守っていこうとの強い信念があるように感じられるのですが…。

尚

沖縄には「ヌチドゥタカラ」という言葉があります。「命が宝」という意味なんですが、沖縄は、地理的にも台風の常襲地であり、干ばつなどによる飢饉にもたびたび見舞われてきました。こうした体験から住民は命の尊さを知り、健康への意識を高めてきたと思われますね。

山田

それと、先の沖縄戦でも多くの犠牲者を出すなど沖縄の人たちは、常に命の危険と隣り合わせで暮らしてきました。その結果、命の大切さを教訓として学び、「命は何ものにも代えがたい宝である」ことを肝に銘じてこられたのではないでしょうか。

沖縄に根付く医食同源

尚

そう思いますね。がん、心臓病、脳卒中の3大生活習慣病による死亡率も、かつては全国と比べても低く、2005年のデータでは、いずれも全国最低でした。これも、沖縄の平均寿命を押し上げてきた要因といってもよいかも知れませんね。しかし、沖縄の長寿を支えてきた最大の要因はなんといっても、先人たちの英知ともいうべき食文化にあるといっても過言ではありませんね。沖縄には、古くから交易のあった中国の影響による「医食同源」の考え方が根付いています。「病気を治すのも、食事をするのも生命を養い、健康を保つためのもので、その源は同じ」という考え方ですね。沖縄には、方言で食べ物のことを、しばしば「ヌチグスイ」(命の薬)と表現することがあります。食べ物そのものに薬効があり、滋養になる成分が含まれている、という意味で、体によいものを食べる習慣が長く受け継がれてきました。

山田

人間の体は、極端にいえば食べ物からできている、といってもいいですよね。「食は命」という生命観や哲学が沖縄の人たちに流れているからこそ、「ヌチグスイ」の言葉があり、沖縄の食が健康食、長寿食として成り立っているのでしょう。

理に適う沖縄の食文化

尚

それと沖縄の長寿を支えてきた要因として豚肉や海藻類、緑黄色野菜、豆腐など体によい食材を大量に摂取してきたことも見逃せませんね。しかも、こうした身近にある食材を巧みに組み合わせて日常的に食事として摂取してきた知恵は、実に理にかなっていると思います。例えば、沖縄の代表的な料理の一つ、クーブイリチーは、千切りにした昆布に豚肉やこんにゃく、カマボコなどいろんな食材を入れて炒め煮にするんですが、味の相乗効果と栄養の相乗効果とがあいまって、とても健康によい料理になります。

山田

まさに先人の知恵が息づいた食文化と言ってもよいでしょうね。沖縄といえば、「なんくるないさ」(なんとかなるさ)とか「テーゲー(適当)主義」に代表されるように、あまり物事にこだわらない、おおらかな県民性がよく知られています。このように前向きで、楽観的な性格は、長寿の人に共通している、と聞いたことがあります。おそらく、悩みがあっても深刻に考えず、ストレスをためないことが長寿につながっているのでしょう。

尚

くよくよしない、おおらかな性格は、高齢者にとっては、とても大事なことだと思います。長寿村として知られる本島北部の大宜味村は、最新の資料(2010年4月末)によりますと、3363人の人口のうち、65歳以上の高齢者は約3割を占め、90歳以上の長寿者は147人。この中には100歳を超える人が13人いるそうです。以前、琉球大学で教鞭を執っていたころ、フィールドスタディでこの村を訪ねたことがありました。村全体が落ち着いた老人ホームの中にいるような印象を受けましたね。お年寄りは各自、自宅に住んでいるのですが、その自宅がまるで老人ホームの個室にいるような雰囲気で、お互いに助け合っているような感じがしました。90歳、100歳になっても食事から移動、着衣、排泄、入浴までほとんど自分自身でされている方が多く、人に頼らず健康で自立されている方が実に多いと思いましたね。

山田

本当にすばらしいですね。

生涯現役の気概を持つ

尚

ところが、今から7〜8年前だったでしょうか、国から研究費をいただいてこの村で調査を行ったことがありましたが、若い人はメタボリックシンドロームや心臓病などの生活習慣病の人が多く、その時点でもう長寿村ではありませんでしたね。高齢者の方が平均寿命などを押し上げているため、かろうじて長寿村といわれていましたが、数値的には北部12市町村の中でも、下から数えたほうが早いくらいでした。

山田

日本は世界一の長寿国といっても、延命治療など医学の進歩の恩恵を受けてきたことは否定できません。長生きすることは、万人の願いであり、それ自体は喜ばしいことなのですが、真の長寿とは単に命を長らえるのではなく、健康で生きがいのある人生を送ることだと思います。QOL(生活の質)を確保するためにも、生涯現役の気概をもって明るく元気に暮らしていただきたいと思います。

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