山田英生対談録

緑が地球を救う よみがえれ ふるさとの森

宮脇 昭氏×山田 英生対談

次代の子どもたちへ

囲炉裏を囲んで語り合う家族たち。

殺人などの凶悪犯罪がますます低年齢化し、いじめや学級崩壊などが依然、後を絶ちません。教育現場の荒廃は、ますます深刻化の度合いを強めています。なぜ、こうした事態を招いたのでしょうか。「問題が起きても真剣に対応しようとしない親や教師、社会に責任がある」と断言するのは、横浜国立大学名誉教授、宮脇昭氏(78)、「子どもの持つ潜在能力を親や教師が引き出し、使い切るのが大事」と訴えています。一方、「子どもたちの問題は、それを取り巻く大人社会の裏返し」と強調するのは、山田養蜂場代表、山田英生(49)、「生命や自然の大切さを子どもたちに伝えて行くのが、養蜂家の責務」と決意を新たにしています。

【構成 毎日新聞社 編集委員・成井哲郎】

後を絶たない親の幼児虐待

山田

小中学校でのいじめや学級崩壊、不登校などが相変わらず大きな社会問題になっています。特に不登校は、文部科学省の調査でも、13万9千人にも達しています(2001年度)。10代の少年たちによる殺人などの凶悪犯罪も続出し、親による幼児虐待も増えるばかり。今や、子どもたちをめぐる教育環境は、危機的な状況で個別の学校や家庭で対応するには限界を超え、「社会的病理現象」ともいえる深刻な様相を見せています。どこに原因があるのでしょうか。

宮脇

親、教師、社会が結局、悪いということになりますね。家で、いい加減に育てても、大部分の子どもたちは、まあ何とかなりますが、体だけは大きくなっても、知性や感性の発達が途中で止まった子どもが問題を起こしているような気がしますね。中学、高校生になってからでは遅すぎます。「三つ子の魂百まで」という諺がありますが、小さいころから両親がスキンシップをしながら人間社会の生き方や最低限のモラル、生物社会の掟を習い性となるまで教え込むべきでしょうね。

山田
囲炉裏を囲んで語り合う家族たち。かつての農村では、こうした光景がどこでも見られ、子どもたちの豊かな情操が育まれた

囲炉裏を囲んで語り合う家族たち。かつての農村では、こうした光景がどこでも見られ、子どもたちの豊かな情操が育まれた

子どもたちに人間的な生きた実体験の不足が発生しているような気がします。健全な人格形成には、人や環境との受動的ではないコミュニケーションが必要ですが、家庭に入り込んだ映像メディアなどの影響もあり、その絶対量が足らないのではないでしょうか?「キレる」「むかつく」というのも最近の若い人達の間で多用されるようになった言葉ですが、私には未熟な感性の象徴のように思えます。我慢や辛抱ができないのも、生きた体験自体が不足し過ぎているために、ストレスに対する耐性ができていないせいでしょうか。けんかをしても、昔はどこまでやれば相手を傷つけたり、命に危険が及んだりするかを考えながらしていました。殺すまでするようなことはなかったですね。

宮脇

怖い時代になりました。私は、生物社会には嫌な奴もいるし、自然界では、みんな命をかけて生きていることを現場に出て徹底的に理解させることが大事だと思います。そうすれば、バーチャル(仮想)の世界のように殺しても生き返ることは、自然界では、絶対、ありえないということがわかるでしょう。

山田

そう思いますね。

宮脇
国道の斜面に木を植える小学生たち。植樹は、命の大切さを教える何よりの環境教育だ。

国道の斜面に木を植える小学生たち。植樹は、命の大切さを教える何よりの環境教育だ。

一緒に子どもたちと木を植えてみるのも一つの方法だと思いますね。かつて愛知県一宮市で小学校の敷地が高速道路の建設に引っかかり、立ち退くことになったんです。私は移転記念に「木を植えたらどうか」と教育委員会に提案しました。ところが、その小学校の校長は、「6年生の中に、キレる子が3人いて、植樹祭なんてとうてい無理」と言って反対しました。それを何とか説得し、開催にこぎつけたのです。当日、他の子が泥だらけになって一生懸命、植えているのを見て、3人の子どもたちも植えたそうに手を動かしていました。私が「一緒に植えよう」と勧めると、彼らは、夢中になって植え始めました。後日、校長から「卒業させられないと思っていた3人が、植樹祭に参加させてもらったお陰で、落ち着きが見られるようになり、無事、卒業させることができました」と感謝されました。やはり木を植えることは、小手先だけの技術ではありません。心の中に木を植えることなんです。これほど、すばらしい命の教育、環境教育はありません。

ライフスタイルの変化も影響

山田
テレビゲームで遊ぶ子どもたち。家の中で遊ぶことが多くなり、テレビの前に座る時間は、長くなるばかりだ。

テレビゲームで遊ぶ子どもたち。家の中で遊ぶことが多くなり、テレビの前に座る時間は、長くなるばかりだ。

まったく同感です。大きなライフスタイルの変化が背景にあると思いますね。かつて農村では、おじいちゃん、おばあちゃんが家の中にいて、忙しい親に代わって子どもたちの人間性を育てていました。その後、核家族や共働きが増えてくるのに伴って、大人たちが子どもと触れ合う機会がめっきり減ってしまったんですね。かつては、子どもたちを社会全体で育てるのが当たり前の時代、古きよき時代がありました。地域の人たちは、わが子同様によその子を褒めたり、叱ったり、常に温かい目で子どもたちのことを見ていました。経済発展の中で、私たちのライフスタイルが都市型に変わり、子どもを育てる家庭や地域社会という教育の場がどんどん失われていきました。人間にとって、自然の野山や空気や水の価値が、経済面だけでは計れないのと同じで、健全な地域社会や家庭の教育力は経済の論理、ものさしだけでは計り知れない重要性があると思います。結果的に、これらの大人社会のエゴの文化が、いじめや不登校といったかたちで子どもたちに暗い影を落としていると思うのです。

宮脇

おっしゃる通り、かつての農村社会では地域全体で子どもたちを支えていた面がありました。

山田

また、テレビや携帯電話の影響も非常に大きいと思います。20年前は、一家に1台だったテレビが、今は1部屋に1台、1人に1台の時代になってしまいました。その上に番組が多チャンネル時代となり、いつも面白いものがある、未だ自己抑制力の未熟な子ども達にとっては最悪の教育環境となってしまったと思います。父親は忙しく、教育は母親任せです。母親は子どもを危険から遠ざけるもので、「山や川は危ないから1人で行ってはだめ」と言うことになる。結局、「家の中で遊べ」と言っているようなものですね。その家の中にはテレビがある。母親は、子どもが家の中に居た方が安心なのでしょうが、その結果、テレビの前に子どもたちが座っている時間がどんどん長くなっていくのが心配です。

威厳があったかつての教師

宮脇

ドイツの家庭では、子どもの部屋にはテレビはありませんし、見る時間も制限されています。日本では、見たいだけ見られるし、放映されている内容も極めて低俗です。そんな番組を子どもが見ても親は何も言おうとしない。学校の先生にも大きな責任がありますね。親たちは、「子ども可愛いさ」から、何でも子どもの言うことを鵜呑みにして先生に食ってかかる。教師の方だって、「さわらぬ神にたたりなし」で、自己防衛に走ろうとする。学級崩壊にしても、授業を妨害する子どもたちを育てた親に、責任の一端はありますが、問題が発生しても真剣に対応しようとしない教師の責任のほうがもっと大きいと思いますね。要するに手を抜いているとしか思えません。本気で対応しようとすれば、逆に批判されるようにしてしまった今の教育システムが間違っていると思いますね。

山田

確かに、おかしい気がしますね。

宮脇

それと、昔の教師には権威がありましたね。私が子どものころ通っていた学校は、田舎の複式学級の小学校でしたが、家でいたずらをすると、親から「先生に言いつけるぞ」と言われるのが一番、怖かったですね。

深刻化する子供たちの読書離れ

山田

本当に権威がありました。今の子どもたちは、教師だけでなく親の言うこともほとんど聞こうとしません。聞くのは、いつも見ているテレビなんですね。テレビの番組の中でコメンテーターや専門家が話していることには、忠実に耳を傾けようとします。テレビの権威が大きくなりすぎて、その分、教師や親の権威が失われてしまったのだと思います。だから教師や親がいくら注意しても子どもは聞く耳を持ちません。これからは、子どもたちとテレビの関わり方、見る時間などテレビをどうコントロールしていくかも大きな課題だと思いますね。それにテレビがあまりにも面白過ぎて退屈な時間がない。その結果、子どもたちの読書離れや活字離れが深刻です。本を読まなくなってしまったんです。

宮脇

そこが問題なんです。子どもばかりか、お母さんたちだってテレビばかり見ていて本を読もうとさえしない。子どもが親のまねするのも無理がない気がしますね。

山田

今の子どもたちの問題は、物質的な豊かさや快適さばかりを追求し、ますます利己的になった大人社会と密接な関わりがあると思います。そういう意味では、近年、起きた子どもたちによる様々な事件も、起こるべくして起こったものと言えるのではないでしょうか。それは戦後一貫して日本社会の中心に据えられてきた経済一辺倒の文化による競争と効率主義の破たんが子どもたちの世界にも暗い影を落としているといっても過言ではありません。子どもたちに成績の点数をつけることは、一部の認められたエリートをつくる代わりに、多数の落ちこぼれをつくることにもつながります。これは非常に不幸なことであって、本来、子どもたちの可能性というものは、点数だけでは計れません。企業経営者の立場から見ても、学校で成績の優秀だった人が入社して必ずいい仕事ができたり、優秀だったりするとは限らないと実感しています。現実には、逆の場合が結構、見受けられますね。

宮脇

戦後の学校教育は、輪切り教育で、確かに一時的には効率がいいかもしれません。しかも、教科主義で、算数、国語、理科、社会ができれば優秀とされ、そうでない子は落ちこぼれのように思われる。しかし、その子の顔や指紋が世界でその子しかないのと同様、その子しか持ち得ない潜在能力や特性だってあるはずです。それを家庭で親が、学校で教師がうまく引き出して使い切れば、個人のためにも家庭のためにも、ひいては世の中のためにも、人類社会のためにも大いに役立つと思います。

山田

マニュアル的な教育の弊害も大きいと思いますね。それに、自然環境の悪化などで子どもたちが自然と接する機会が極端に少なくなってきたこともあります。だから、次代を担う子どもたちに「自然との共生」「生命の大切さ」などを伝えて行くことが、養蜂を原点とする私たちの責任であると考えています。

子どもの読書量
毎日新聞社が全国の小・中・高校生を対象に、社団法人・全国学校図書館協議会の協力を得て実施した「第51回学校読書調査」によると、2005年5月の1 カ月間に読んだ書籍(教科書、マンガ、雑誌などを除く)の平均冊数は、小学生が前年調査(04年)と同じ7.7冊、中学生は前年より0.4冊減って2.9 冊、高校生は0.2冊減の1.6冊だった。一方、1カ月間に一冊も書籍を読んだことがない「不読者」は、小学生は前年より1ポイント減って6%だったのに対し、中学生は6ポイント増えて25%、高校生も8ポイント増えて51%に達した。小学生は、「朝の読書」の広がりで「不読者」は減ったものの、中・高校生は、受験準備や部活で忙しいこともあって、本を読まない生徒が増えているようだ。

(企画制作、写真提供:毎日新聞社広告局)

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