山田英生対談録

緑が地球を救う よみがえれ ふるさとの森

宮脇 昭氏×山田 英生対談

足元から木を植える

亜硫酸ガスで自然が破壊された栃木県足尾銅山跡地にも緑化が進む

私たちの住む地球の森林が、音もたてずに失われています。危機的状況に直面する地球環境。人類はこの危機をどう乗り越えようとしているのでしょうか。「今こそ、本物のいのちの森を足元から創ろう」と呼びかける横浜国立大学名誉教授、宮脇昭氏(78)。一方、自然とともに生きる養蜂家として、「自然との調和」を企業理念に掲げ、国内外の多様な森づくりを支援する山田養蜂場代表、山田英生(48)。「緑の回復・創造こそ現代人の責務」と断言する二人には、美しい自然を子孫へ残したい、との思いがあふれていました。

【構成 毎日新聞社 編集委員・成井哲郎】

日本でも増える「にせものの森」

宮脇
砂漠化が進む中国・内モンゴルで現地の子ども達と木を植える山田代表=05年6月

砂漠化が進む中国・内モンゴルで現地の子ども達と木を植える山田代表=05年6月

私は、周囲を山に囲まれた岡山県の吉備高原の山間部に生まれました。だから森があるのは当たり前で、緑であればすべて森だと思っていました。それが 1958年、ドイツ政府の招きで初めてドイツに行って、そうではないことに気づきました。当時、ドイツへ行くのに56時間かかったのですが、地中海沿岸を含め、機上から見下ろす光景は、ほとんど赤茶けた土地が露出していました。アメリカにも現地調査に行きましたが、西海岸沿いは、カリフォルニアからメキシコまでほとんど半砂漠の状態でした。かつてアメリカの内陸部は、デスバレーなど雨の少ない砂漠地を除き、ほとんどが森に覆われていましたが、ヨーロッパからの移民が森を破壊して集落や牧野をつくり、金や石油をめざして西へ西へと進み、木を伐って燃料や建築資材にしたため、本来の森が失われたのです。ドイツに留学するまでは、陸地には木や森があるもの、とばかり思っていましたが、地球規模で見ると、日本以外は森林が非常に少ないことに気づきましたね。

山田

私も仕事で海外によく行きますが、本当にそう思います。

宮脇

それも最近は海外だけでなく、日本も例外ではなくなりました。確かにわが国は、他の国々と比べ森が多く、林野庁のレポートでも国土の67%が林野といわれています。しかし、その森にしても、土地本来のものからかけ離れているか、いわゆる「にせもの」がほとんどなのです。

山田

私は岡山県鏡野町に住んでいますが、子どものころは、レンゲや山の蜜源植物がとても豊富で質のよいハチミツがたくさんとれました。両親や祖父に連れられて山に入り、春は山菜や野イチゴを摘み、秋にはキノコを採った楽しい思い出がありました。それが国策に近い形でスギ、ヒノキなどの針葉樹による植林事業が盛んに行われるようになってから森の様子が一変しました。森の中は、うす暗くなり、山菜など自然の恵みが得られなくなったばかりか、針葉樹の山は動植物も住みにくくなって熊やイノシシが人里に現れては、巣箱を荒らす有様でした。

宮脇

広葉樹を伐って針葉樹ばかり植えるから、そうなるんです。

針葉樹林が多いと洪水が増える

山田

川だってそうですね。上流の山が針葉樹ばかりだと、山が荒れ、それが引き金となって土壌が流失し、河床が高くなる。だから、ひとたび大雨になると、降った雨がそのまま、泥水になって大量に流れ込み、洪水を引き起こす。その結果、洪水を防ぐために上流にダムを造らざるを得なくなったわけです。そうすると、今度は川の水量が減り、生活雑排水が流れ込んで魚も棲めない汚い川になってしまったんです。

宮脇

山と川は、密接につながっていますからね。海もそうですよ。森と海は一見、何の関係もないように見えますが、実は微妙な自然の命の糸でつながっています。豊かな森の落ち葉が分解されてできた有機物が川へ流れ、海へと注いでいるのです。その有機物を食うものと食われるものが食物連鎖でつながっているんですね。

山田

いつだったか、「森がなくなると海が死ぬ」とある漁師の方から聞いたことがあります。森と川と海、自然はいつもどこかで見えない絆でしっかり結びついているんですね。

宮脇
元々、ヨーロッパミズナラやシラカンバの森だったが、長い間の家畜の過放牧などで荒れ野となったドイツのリューネブルガー・ハイデ

元々、ヨーロッパミズナラやシラカンバの森だったが、長い間の家畜の過放牧などで荒れ野となったドイツのリューネブルガー・ハイデ

その通りです。自然を守ることは、本当に大事なことだと思います。ヨーロッパでは14世紀末ごろ、スイスの画家たちが「山や湖などの美しい景観を絵に描くだけでなく、自然そのものを守り、後世に残したい」と始めた自然愛護の活動がきっかけとなり、自然保護運動が始まりました。それが、イギリスでは田園景観や歴史的建造物などを保存するナショナルトラスト運動へと発展し、ドイツでも、特異な景観や貴重な自然を守る運動が発端となって1909年にリューネブルガー・ハイデが初めて自然保護区に指定されました。私も、ドイツに着いてからは恩師のドイツ国立植生図研究所長のラインホルト・チュクセン教授に連日、自然保護区へ連れて行かれ、朝から晩まで「自然保護」の話ばかりを会議で聞かされてから、やっとその意味がわかりました。それで、日本の大手新聞社に自然保護の重要性について投稿したのですが、まったく、なしのつぶてでしたね。当時、私は自然は残すことが大事だと思っていました。

森林破壊と連動途上国の環境

山田

自然保護運動の歴史は、そんなに古くはなかったのですね。

宮脇

まだ、比較的に新しいんです。自然保護は、いうまでもなく大切なことなのですが、地球の森が激減し、破たんの危機に瀕している今となっては、いのちの森をつくることがそれ以上に重要なことだと思います。しかも、そこに生まれ育ち、学び働いている人たちの生命を守り、これから生まれてくる子どもたちの未来を守る本物の森を、今すぐ足元から一緒につくってほしいですね。私たちがどんなに科学技術を発展させ、富を築いても、この地球上で人類は緑の植物に寄生する立場でしか持続的には生きて行けません。寄主にあたる緑の回復・創造こそ現在、私たちが緊急に取り組まなければならない責務と思います。

山田
亜硫酸ガスで自然が破壊された栃木県足尾銅山跡地にも緑化が進む=05年5月、写真はNPO法人「森びとプロジェクト委員会」提供

亜硫酸ガスで自然が破壊された栃木県足尾銅山跡地にも緑化が進む=05年5月、写真はNPO法人「森びとプロジェクト委員会」提供

今、貧困、砂漠化、土壌の流失など開発途上国が抱える問題の多くは、急激な森林破壊と密接なつながりがあると言っても過言ではありませんね。こうした問題に対処するために、まず人類が取り組まなければならないのが、自然環境の保護と緑の再生だと思います。破壊された生態系を復活させるために、地球規模でただちに植樹に着手することが必要ではないでしょうか。私も先生がお書きになられた「緑回復の処方箋」を読んで、ふるさとの森復活にかける思いにたいへん感動し、先生のアドバイスをいただきながら森づくりに取り組んでいます。

宮脇

私が5年前、鏡野町の会社をお訪ねした時、ちょうど新社屋の工事中でしたので、「この際、社屋のまわりをふるさとの森で囲んでみたらいかがですか」と申し上げました。すでに緑化計画も出来ていたようですが、山田さんは、その場で設計業者を呼ばれ、発注済みの設計図を突然、変更され、シラカシ、スダジイなど土地本来の木や蜜源の木、季節の花々など60種類を早速、地域の人たちと一緒に植えていただきました。この前、久しぶりに見て驚きました。植えた木は、予想以上に大きく育ち、私が指導した国内1280カ所の中でも理想的な森に育っています。

山田

野鳥は飛んで来るし、タヌキも棲みつきました。森の中にはケモノ道までできていますよ。夏にはクワガタやカブトムシ、セミもたくさん、見かけました。まさに生物多様性の森が出来上がりつつあります。

宮脇

タヌキも棲みついたとは、驚きました。

山田

「宮脇方式」の森は、多様性が原点ですよね。人間組織でもいろんな人がいて、さまざまな考え方があって、お互いに切磋琢磨しながら競いあえば強靭な組織となって安定すると思っています。そうした考えを植物の姿を通して社員に理解してほしかった。それが、この森をつくろうと思った第一の理由です。それと、どうせ緑地をつくるなら芝生のような味気ないものではなくて、四季折々の花が咲き、季節とともに植物の主役が変わっていく「自然の芸術」のような森をつくりたかったのです。幼いころから農村で暮らし、このような自然の風景はずっと見慣れてきましたが、ライフスタイルが都市型に変わり、こうした風景が今、消えつつあります。だから身近なところに昔の自然の姿を置きたかったのです。

蜜源植物の育つ森をつくりたい

宮脇

山田さんの先見性、実行力には本当に頭が下がります。トップダウンでやっていただけるから可能なんですね。鳥取県境の蒜山高原や会社近くの「みつばち牧場」にも、蜜源の木を植えておられると聞きましたが‥。

山田

これまでは、企業活動によって環境が破壊されるケースをたくさんこの目で見たり、聞いてきましたので、逆に企業の発展によって環境がどのように改善されていくかを自分で試してみたかったのです。計画経済の社会主義国や共産主義国なら別ですが、資本主義国では、あまり蜜源の植物を植えようとはしません。蜜源樹は植えてからハチミツがとれるまで20?30年かかり、すぐカネにならないからなんです。私たち養蜂家は、ミツバチから自然の大切さを学びました。しかし、国内の各地では、蜜源植物が減少し、森林の荒廃も進んでいます。豊かだった昔の自然環境を取り戻すため、当社にほど近いところの10ヘクタールの里山を買い取り、ここにさまざまな蜜源植物が育つ森づくりを進めています。

宮脇

面白い試みですね。

山田

蜜源樹は単一の樹種になりがちなので、これからは「宮脇方式」に従い、できるだけ多くの樹種を混植、密植した森にしたいと思っています。すでにミカンやビワ、スダジイなどの苗木を植えました。これからも、ヤマザクラやクロガネモチ、シナノキなど約3万本を植える計画です。また岡山県北部にもレンゲやヒマワリ、クローバーなどの蜜源植物を植栽する予定で、訪れた人たちが気軽に自然と触れ合える場を提供したいと考えています。

宮脇

木を植える時、最も大事なのは、その土地の主役となる樹種を取り違えないことですね。かつて中国・万里の長城で森づくりを進める際、私は北京市人民政府に「主役であるモウコナラを中心に植えたらどうか」と提案したんです。それまでの現地調査から北京市周辺の古いお寺や山には、その老木が残っていたため、主役はモウコナラと確信していました。

山田

なるほど。

宮脇

しかし、北京市の緑化部長や農林部長たちは「そんな木は、とうの昔に消えている。今はポプラかニセアカシア、柳やハンノキしか残っていない」と口をそろえて言うんですね。ところが、林業試験場の古参職員が「そう言われれば、『松山』という自然保護地区の谷間にモウコナラが1本あったような気がする」というんで、早速、トラックを飛ばして駆けつけてみると、みごとなモウコナラの林があるではありませんか。そのドングリ80万個を拾ってポット苗にし、これまでに39万本の幼木を植樹しましたが、順調に育っています。

山田

樹種の選択は、何よりも大事なんですね。

宮脇

その通りです。木を植えることは、単に小手先の技術ではなくて、人の心に木を植えること。人間の生物としての防衛本能なんです。

宮脇式植樹法
潜在自然植生に基づく、その土地本来の木を使った宮脇昭さんによる植樹法。宮脇さんは「ふるさとの木によるふるさとの森づくり」と呼ぶ。日本古来の鎮守の森のノウハウと生態学(エコロジー)のルールを組み合わせた手法。現地での植生調査を綿密に行い、その結果、判明した本命の木の種を拾い、ポット苗をつくる。ポットにたっぷり根を張りめぐらせ、高さ30〜50センチになったら、できるだけ多くの樹種を混ぜながら「混植・密植」し、最初の3年間は草取りをし、あとは自然淘汰に任せるため管理費がかからない。

(企画制作、写真提供:毎日新聞社広告局)

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