山田英生対談録

緑が地球を救う よみがえれ ふるさとの森

宮脇 昭氏×山田 英生対談

文明破壊の歴史に学ぶ

古代ギリシャのアポロン・エピクリオス神殿

人類文明の歴史は、他方で森林破壊の歴史でもありました。栄華を誇った古代文明は、人類が森を消滅させた時、もろくも崩れ去りました。そして今、人類は再び、森を根こそぎ破壊しようとしています。「地球の命のドラマを破滅に導いてはならない」と警鐘を鳴らす横浜国立大学名誉教授、宮脇昭氏(78)。「自然との共生こそ人類が生き延びる道」と言い切る山田養蜂場代表、山田英生(48)。「過去の歴史を教訓に」が二人の共通の思いでした。

【構成 毎日新聞社 編集委員・成井哲郎】

人類の文明は、森林破壊の歴史

山田

20世紀は、あまりにも都市化が進み、自然に対して大きなダメージを与え過ぎたのではないでしょうか。今、人類の文明が崩壊に向かうか、それとも踏みとどまって息を吹き返すかの瀬戸際に立っているような気がいたします。「21世紀は環境の時代」と言われていますが、これからは環境に負荷を与えずに、いかに自然と関わっていくかが問われてくると思いますね。

宮脇
かつて栄華を誇った古代文明も、人間が森を食いつぶした時、滅んだ=古代ギリシャのアポロン・エピクリオス神殿

かつて栄華を誇った古代文明も、人間が森を食いつぶした時、滅んだ=古代ギリシャのアポロン・エピクリオス神殿

その通りです。確かに今は、地球規模で環境破壊が同時多発的に進み、地球が最後の段階にきているようにさえ思います。数千年生きて来られた私たち人類が、あと何年生きられるのか、身震いするような恐ろしさを感じますね。人類文明の歴史は、同時に森林破壊の歴史でもありました。かつて人類にとって森は、目の前に立ちはだかる敵だったのですが、人類が火を使うようになって初めて敵を征服し、文明を築いていったわけです。しかし、人類が森を食いつぶした時、例えば、あのメソポタミア文明やエジプト文明も滅びました。メソポタミアでは、「大きな森には神が宿る」との言い伝えがあり、ある時期までは森を残してきた、と言われています。そのあと、出てきた王様が「神を征伐する」と言って森を破壊してから、文明の滅亡につながるような、いろんなことが次々起こってきたと、かつてある人からお聞きしたことがあります。そして4000年前に土木技術の粋を尽くして築き上げたエジプトのピラミッドやスフィンクス、王宮も今は、砂漠の中にすっぽり埋もれ、かつて栄華を誇ったギリシャ文明や誇り高きローマ帝国も、彼らが周りの森を破壊し尽くした時に消えていきました。

過去と同じ道歩む危険性も

山田

古代の都市文明が周辺の環境破壊とともに滅亡したという過去の歴史的事実を考えれば、グローバルな地球環境が壊滅的なダメージを受けることによって現代文明も遠からず崩壊の危機に直面する、と指摘する人もいます。私もこれまでの歴史を考えると、他者の犠牲の上に立って繁栄を築いた現代文明も、過去の滅びた文明と同じように破滅の道を歩み始めているのではないかと、たいへん危惧しています。

宮脇

同感ですね。

山田
焼き畑にするため、火入れされた熱帯雨林。一時的には作物もよく育つが、 2、3年たつと養分がなくなる=インドネシア・カリマンタン奥地で

焼き畑にするため、火入れされた熱帯雨林。一時的には作物もよく育つが、 2、3年たつと養分がなくなる=インドネシア・カリマンタン奥地で

都市化や開発がこのまま進めば、地球の森林がどんどん収奪されて最終的には現代文明が滅びるように思えてなりません。それを押しとどめるためには、過去の文明のどの部分を見直し、現代の文明にどう生かしていけばよいかが、とても重要だと思います。例えば、縄文時代には、原生の環境を残しながら自然と共生してきた人類文明がありました。それは持続可能な文明であって、私たちはその文明に学べばよいのですが、だからといって現代の生活を縄文時代に戻すのは、ちょっと非現実的すぎます。であるならば、植樹のような自然と調和した活動が今こそ求められるべきではないでしょうか。私たちはこれまで、西洋文明に代表される都市型文明こそが高度な文明であるかのように学んできましたが、実際は違うと思います。自然と共生してきたこれまでの文明が、自然環境が失われた今となっては本当に、貴重だった気がしますね。

「公園景観」の語源は「荒れ野」

宮脇
美しい草原も、かつては森だった=モンゴルで

美しい草原も、かつては森だった=モンゴルで

森林破壊の原因の一つに、長い時間をかけた家畜の過放牧があります。ヨーロッパ大陸もかつては、ほとんど森で覆われていましたが、毛皮や食肉を必要としたため、森の中に羊やヤギ、牛などを放牧しました。その結果、森が破壊されたわけです。例えば1909年にドイツで初めて自然保護区に指定された「リューネブルグハイデ」は、元々は、ヨーロッパミズナラやシラカンバの森でした。それが4000年に及ぶ過放牧や岩塩採掘、伐採などで土地がやせ、エリカやカルーナなどの矮生低木やコメススキのようなイネ科の植物が繁茂するようになりました。こうした風景が英語で「ヒース」、ドイツ語で「ハイデ」、日本語で「荒れ野」という、今の「公園景観」を指す言葉になったのです。内モンゴルもそうですよ。中国科学アカデミーのみなさんは、「モンゴルは、昔から草原だったと記録に書いてある」と言いますが、記録として残っているのは、せいぜい2000年から3000年前のこと。人類はそれ以前から住んでいたわけですし、モンゴルは寒いところですから生きていくためには、毛皮も肉も必要だったでしょう。そのために数千年来にわたって牛や羊などを放牧してきたわけです。ですから生態学的にいえばモンゴル高原は草原ではなく、荒れ野なんです。

山田

雄大に見えるモンゴル高原も、先生が言われるように人間の過干渉が今日の景観を招いたと考えると、わずかな人間の力も長い年月を経れば自然に対し大きなダメージを与えることがよくわかりました。しかし、このモンゴル高原も、数千年間、砂漠にならず草原のままで維持されてきた背景には、羊や牛を一定の区域で飼わず、季節ごとに必ず移動し、いたずらに草原にダメージを与えないというルールがあったと聞きました。ところが、最近は、移動せずに一定の場所で家畜を飼い、そこに生えている草をすべて食べさせてしまうため、砂漠化が進んでいるということでした。今の現代文明を象徴しているような気がしますね。

宮脇

牛がのんびり草を食む牧歌的なモンゴル高原を見ると、森を破壊した人間の愚かさを感じずにはいられません。草原の美しさも、滅び行くものの美しさというか、悲しさというか、人類文明が緑の自然に与えたダメージの姿でもあります。ドイツには「森の下には、もう一つの森がある」という言葉があります。一見、邪魔者に見える下草や低木も上の森を支えている大事な下の森なのです。数千年にわたって家畜を森の中に放牧すれば、下の森だけでなく上の森も破壊されることになるわけですね。それでもかつては、森が破壊されるまで数千年という時間がかかったわけですが、今は一瞬でダメになる。一度、失われたものは、そのままにしておけば、二度と戻りませんからね。

自然との共生が生き延びる道

山田

ある説によると、人類の歴史が始まってから1950年までに消費されたエネルギーと自然に与えた負荷の量は、それ以降の55年間の量とほぼ匹敵する、と言われています。それほど50年以降は、人口の爆発的な増加と工業技術の発展などで、環境にたいへんな負荷を人間は、与えているんですね。私たちは、20世紀に周りの自然を傷つけ、破壊しながら文明の発展や経済的な豊かさを手にしてきました。しかし、今はその弊害に直面しています。私は自然との関わりが不可欠な養蜂の仕事を通して「人類と自然との共生」が、いかに重要であるかということを痛切に感じてきました。自然を犠牲にし、経済至上主義のもとで発展してきた現代社会が、深刻な環境破壊に直面しているのを見ると、まさに自然からのしっぺ返しという気がしてなりません。

宮脇

本当にこの50年、100年で私たちの周りから森が音もたてずに消えています。森はもはや人類にとって邪魔者ではなく、生きる基盤そのものであります。 30数億年続いてきた命の歴史の最後に出てきた人類を主役とする地球の命のドラマを絶対、破滅に導いてはなりません。この地球上の生き物の命と遺伝子資源を未来に向かって確実に守っていくことが今、私たちに求められています。そのためには、エコロジカルな(生態学的な)命の森を積極的に回復、再生することこそ、今、私たちが第一に取り組まなければならないことだと強く言いたいですね。

山田

自然環境と人類が共生しなければ、持続可能な文明は生まれてこないと、私は思います。

(企画制作、写真提供:毎日新聞社広告局)

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