山田英生対談録

地球物語

石 弘之氏×山田 英生対談

一度失った自然を、再び生き返らせる。どうすれば実現できるのだろうか。

山田

今日は、石先生と釧路へやって参りました。日本最大という釧路湿原の再生に取り組んでいる方々に案内をしていただき、7時間余りに渡って「現場」を歩いてきました。偶然にも、絶滅寸前だったというタンチョウが、目の前で羽ばたいて飛び立つ姿を目にすることもできました。圧巻は、なんと言ってもサケの遡上でしたねえ。テレビで見るのとは大違い。わずか数センチだった稚魚が大海を何年も泳ぎ回った末に、生まれた河川に戻ってくる。それも体中を傷でボロボロにして急流を上っては押し戻され、また上っては押し戻される。それでも決してあきらめない姿には感動しました。これだけ豊富な生態系を持った湿原を回復させるのは大変なことです。

石

私もサケの遡上は何度も見ましたが、そのたびに涙が出るほどの感動を味わいますね。でも、その陰で、様々な生物が姿を消している事実に目を向けないわけにはいきません。釧路湿原は、日本で最大の湿原で1万9000ヘクタール、山手線の内側がすっぽりおさまってしまうほどの広さです。1980年には、渡り鳥を保護するためのラムサール条約に基づく湿地として登録されています。ところが、湿地特有のヨシ・スゲ群落に代わって、ハンノキの群生があちこちにできていましたよね。これは、乾燥している証拠です。湿原が、1996年までの過去50年で、2割以上も消失してしまった。

山田

埋め立てたのですか。

石

埋め立てたり、上流の森林を伐採したり牧場が出来たりしたため、土砂の流入が増えて、湿地が埋もれてしまったのですね。

山田

世界遺産では、それを守るために遺産のあるコアの部分に保護区域を設け、その外側に一段、緩やかな保護地域であるバッファーゾーン(緩衝地帯)を設けていますね。つまり、強い規制のある保護区域を囲むように緩やかな規制区域を作るのが普通だと思うのですが、湿地の場合にはかえって、周辺の環境保全が急所のようですね。

石

私も、なるほどと思いました。湿地はきわめてもろい自然であり生態系です。上流の環境が変わるとすぐに湿原に影響が出る。25年前に、湿原の中央を流れていた釧路川の一部を直線化してしまった。蛇行していれば、流域に土砂がたまるから、湿原まで土砂が流れ込まないのに、まっすぐにしたから湿地が埋まってしまった。

山田

確かに川が不自然に直線になっていましたね。当時としては、直線にすれば畑も放牧地も増えるし、大雨でも水を早く流してしまえば水害を防ぐことが出来ると考えたわけですね。

石

いま、湿地を再生する計画が始まっています。土砂流入の防止や植林やタンチョウ営巣環境の保全なのですが、そのなかで、河川を再び蛇行させようと試みているのです。ところが、ここで問題が起きました。直線化して約25年もたったいま、流域には新たな生態系ができている。再び工事をして、それを壊すのか、という批判もあるのです。

山田

ちょうど直線化した流域を歩いている時でしたね、大きな翼を広げてタンチョウが飛び立っていったのは。植物も動物も環境に順応して、新たな生態系ができていると、私も感じました。

石

そうなんですよ。それを再び変えてしまうのが、いいことなのかどうか。さらにもっと長期的に考えると、やはり昔のように蛇行させた方が本来の自然に近い。

山田

地元の方々の話を聞いていると、かなり弾力的に計画を進めているようなので少し安心しましたが、様々な工夫が必要ですね。日本には高い土木開発技術がありますが、自然を再生する技術は貧弱のような気がします。

石

一方、納税者にとって釈然としないのは、5億円もかけて直線化して、今度は10億円かけて戻すのか、と。無駄遣いと反感を買うでしょう。

私たちは自然の恩恵を知らず知らずに受けている。

山田

湿原というのは、さまざまな恵みを私たちに与えてくれていると思うのですよ。そのひとつは、湿原の浄化作用。湿原のヨシ類は、水を浄化するフィルターの役目を果たしていますね。私どもではルーマニアのドナウ川河口に広がる広大な湿原ドナウデルタ(世界遺産)の保護を支援しておりますが、ドナウ川源流はドイツ南部の森林地帯「黒い森」に発し、蛇行しながらヨーロッパ10カ国を通って黒海に流れ込みます。途中の国々で生活排水や汚水によって濁った水が、河口部のドナウデルタの大湿原によってきれいに浄化されて、黒海に流れ込む。その黒海ではチョウザメからキャビアが取れる。残念ながら、最近の汚染はひどすぎて、浄化しきれなくなって、チョウザメも激減しているようですが。

石

それ以外にも、湿原は役に立っています。大雨による水害をスポンジのように水を吸収して防いでくれているのです。昨年、米国南部を襲ったハリケーン「カトリーナ」によってミシシッピー川が氾濫したのも、あたりの湿原を開拓してしまったのが一因と言われています。

山田

湿地は自然のダムの役割も果たすのですね。それに、湿原には、いろんな遺伝資源がまだ隠されているのではありませんか?

石

それも重要です。湿地は生物の多様性、種の多様性、そして遺伝子の多様性を持っている貴重な財産なのですね。

山田

地球上の生物は数千万種といわれますが、そのうち名前が付いているのは150万種類前後しかありません。つまり人間は地球上の生物のほんのわずかしか把握していないことになります。しかし、マラリアの特効薬キニーネはキナという木の皮から開発されているように、人間は自然の中からしか、有用な資源を得ることはできないのです。エイズの特効薬が熱帯雨林か珊瑚礁にあると言われているのもその例ではないでしょうか。まだ発見されていない生物に未知の病気の特効薬が隠されているかもしれない。自然には、40億年近い進化の結果の恵みが隠されていますから。

石

その貴重な環境を私たちは破壊してしまっている。地球は、過去6回にわたって「大絶滅時代」を経験しています。火山の大爆発だったりいん石の衝突だったり。20世紀後半は、7回目の「大絶滅時代」。その原因は、人間の仕業です。その反省点にたって、日本でも2003年に自然再生推進法ができました。これまでの公共事業で護岸や埋め立てが繰り返されてきましたが、近い将来、新規の公共事業よりも、既存の公共物の維持管理費の方が高くつく時代になる。

自然の素晴らしさや息遣いを心に感じることの大切さ。

山田

日本は古来から豊葦原(とよあしはら)の瑞穂の国と呼ばれましたでしょう。とか豊秋津洲(とよあきつしま)つまり、こういった湿地が、日本の原風景だと思うのですよ。そこに水田など、湿地をうまく利用した稲作が始まった。今日、湿原を歩いてみて、なぜか、ホッとするのは、それが長い間に私たちの遺伝子の中に記憶されているからだと思うのです。

石

地平線まで見える湿地とか、羽を広げると2.4メートルにもなる大きなタンチョウがいて。そういう景観は、インスピレーションを与えますね。一種の畏敬の念ですか。

山田

アイヌ民族などの先住民が、熊やシマフクロウ、サケなどの大型の生物を神(カムイ)として崇めたのは、生態系の頂点を守ることによって全ての生物を守る知恵だったのではないでしょうか。

石

私たちは、それを破壊していることに気づかない。影響が出て、初めて破壊を知ることができる。

山田

ネパールでも同じですね。女性や子供たちがとても長い道のりを水を汲みに歩いていました。

石

水不足の国にとって、水は命の綱です。その水をめぐって、争いが絶えません。中東の紛争の遠因には、水争いがある。インドとパキスタンの仲が悪いのも川の水争いと言われていますし。上流下流で争いが起きる。たとえば、ナイル川は7カ国を流れているのですが、たくさんの国を通る場合はやっかいです。上流にある国はダムをつくって水をせき止めたいし、下流域はそれでは困る。こういった水を巡る国際紛争は、もっと深刻化するかもしれません。

山田

影響が出てからでは遅すぎるということですね。

石

その通りですね。釧路湿原に、国内最大の淡水魚であるイトウが激減して、初めて湿地が悪化していることに気づく。産業革命後、地衣類が減っていった。大気汚染が原因とわかったのはだいぶ後になってからですよ。熊本県の水俣で人間への影響がはっきり出る前に頑強なカラスがのたうち回って死んでいく。あの水俣病です。生物の変化は、なにかの予兆なのですね。

たくさんの成功例をつくり、日本は世界のお手本に。

山田

温暖化が引き金とみられるカビの大発生の影響でカエルも世界的に激減しているそうですね。岡山県でも昔はそこいら中にいたツチガエルが消えてしまった。代わりにアマガエルが繁殖している。最上流でわずかにツチガエルが見られるのは、それより上流には水田がないからでしょう。

石

そういった絶滅に瀕している動植物を増やしていくことが、いかに難しいか。日本のタンチョウは、1953年には33羽しかいなかったのが、保護活動が実って1088羽にまでに回復した。絶滅したコウノトリもそう。ロシアからもらってきて繁殖させて、120羽を超えるところまで増えた。

山田

日本でこれだけ増やすことができたというのは、誇れることかもしれません。最近、急成長を遂げている国々は、どんどん自然を破壊してしまっています。その破壊の責任の一端は、木材や農作物を輸入している私たち日本人にもあるのですが、経済的に安定している日本こそが、自然再生のためのモデルを作らないといけませんよね。

石

日本でいま、あれだけ身近にいたメダカが絶滅危惧種に指定されている。私たちは、もっと驚くべきです。秋の七草であるキキョウも絶滅寸前です。目の前の自然破壊について真剣に考え、それをいかに守って、そして増やしていくかを考えるべきですよ。今世紀は、これまで破壊してきた自然を回復させる未知の分野への挑戦ですね。

山田

「自然再生」と、言葉では簡単に言いますが、自然を破壊してきた工事以上の予算が必要です。一度、失ってしまった自然を取り戻すのは大変な作業であることが、今日、実際に湿原を歩いてみて、よくわかりました。そのことを、私たちはもっと肝に銘じるべきなのでしょうね。

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