山田英生対談録

予防医学が拓く未来

渥美 和彦氏×山田 英生対談

増える一方の通院者。医師の数は足りているのでしょうか?

通院者に対する医師数

近年、医師の診察風景が変わりつつあるようです。以前、当たり前のように行われていた触診や聴診などの医療行為が減り、代わりにパソコンのモニター画面を見ながら診察するデータ中心の医療が多くなりました。
医療の専門化が進み、特定分野に強みを発揮する医師が増える一方で、体全体を診られる医師は少なくなりました。
しかしながら、医療技術がどんなに変わっても、「病人を救う」という医療の本質は変わりません。
日本の統合医学の第一人者で、東大名誉教授の渥美和彦さん(86)から山田英生・山田養蜂場代表(57)が、「名医の条件」などについて聞きました。

専門化で薄れる「体全体」を診るという意識。

減った触診や打診

山田

昔から「医は、仁術」といわれるように、医師は、寝食を忘れて病気の人を献身的に治療し、多くの人から尊敬される職業の一つでした。 ところが、最近は高齢化による通院者の急増で多忙を極め、診察時間はせいぜい10分以内とも、いわれています。 このため、患者さんの中には「病状などを聞きたくても、あまり聞けない」「治療法なども十分説明してくれない」などの不満を抱える人が多いそうです。 昔と比べ最近の医師は、対応が変わりましたか。

渥美

「変わったか」といわれれば、変わったかもしれませんね。患者さんの中には、忙しい仕事の合間を縫って診察を受けたのに、医師からは「今は、何とも言えません」「もう少し様子を見ましょう」といわれ、ガックリ肩を落とされる人もいるでしょう。 特に診察中、モニター画面ばかりを覗きこんで、患者さんのほうを見ようともしない医師がいるようです。これまで診察といえば、問診に始まって視診、打診、触診、聴診などの順で診たものですが、最近はこうした手順を踏む医師が少なくなったような気がします。 やはり、CT(コンピュータ断層撮影)やMRI(磁気共鳴画像)などの検査機器が発達し、こうした機器を使ったほうが病気をより正確に判断できるようになったことも一因でしょう。

山田

そういえば、最近は医師が手や指で患者さんの体に触れて診断したり、胸に聴診器を当てる姿も、あまり目にしなくなった、と聞きます。

渥美

私たちのような古い世代の医師にとっては、昔のように自分の五感をフルに使って診断する医師が減ったのは、ちょっと寂しいですね。

進む現代医療の専門化

山田

総合病院や大学病院のような大きな病院に行った人は、体の器官ごとに診療科が細かく分かれていて、どこの科で診察を受けたらよいか戸惑うことがあるようです。

渥美

そうでしょう。例えば、「お腹に違和感を感じた」とします。自分で「何となくここだろう」と見当をつけて、内科で診てもらっても、ハッキリした病名や原因がわからず、いくつもの診療科をたらい回しにされるケースが少なくありません。 「自分の専門ではないから」と医師が他の診療科に回してしまうんですね。患者さんにとっては、いい迷惑ですが、これは現代医療の専門分野があまりにも細分化されたために起きた一例でしょう。 このように臓器別に専門性を高める医学教育が進むと、自分の専門分野には詳しくても、それ以外の分野はよくわからない、というアンバランスな医師が育ってしまいます。 患者さんには、体全体を診てくれる医師のほうが安心できるでしょう。一つの器官だけを診ていたのでは、治る病気も治りません。どれだけ専門知識を持ち合わせていても、体全体が診られなければ、肝心なことを見落としてしまう恐れもない、とはいえませんね。

「統合医療」の推進が急務

山田

同感ですね。今の医学は、最先端の技術を結集してできた科学的医療ですが、科学とは、漢字で書くと「科の学問」となります。 つまり、これは全体的、体系的につながったものを一つひとつ切り離して、「個々に分類し、専門化させた学問」とも、いえるでしょう。 医学の分野でも、全体的につながった人の体をどんどん細分化し、専門化して対応するため、特定の分野では目ざましい進歩を遂げても、生身の体をトータルに診るという点では、後退しているような気がしてなりません。 年々、専門医をめざす若い人が増えていますが、これからはどんな症状にも対応できる「統合医療」の推進が急がれませんか。

渥美

急がれますね。例えば、風邪や頭痛はもちろんのこと、高血圧や糖尿病などの慢性疾患、捻挫、湿疹など幅広い領域を診る統合医療は今後、ますます必要になってくるでしょう。 できれば、患者さんだけでなく、その家族構成や食生活までを理解したうえで、総合的にアドバイスしてくれるような医師を育てることは、とても重要だと思いますね。

山田

先生が外科医の頃は、どうでしたか。

渥美

私が現役の外科医だった50年くらい前は、ちょっとしたケガの治療から、急患の患者さんまで何でも診ました。 当時は、医師たる者、何でも診るのが当たり前で、今のようなCTやMRIなどはなかったし、薬にしても今ほど種類が多くはありませんでしたから、患者さんが診察室に入ってきた時の歩き方や表情、息遣い、全体の雰囲気などに目を凝らし、問診で患者さんの訴えに耳を傾けて診断したものです。

医師と患者を結ぶ信頼感

山田

そういわれてみれば、そんな気がします。
ところで、私たちが、「がん」など重い病気に罹った場合、だれでもショックで不安になり、どうせ医師に掛るのなら「経験豊富で手術がうまく、術後の生存率が高い名医に診てほしい」と思うのではないでしょうか。 最近、テレビで「名医」と呼ばれるスーパードクターが登場する番組が人気を呼んでいますが、先生のお考えになる「名医とは、どんな医師」ですか。

渥美

あくまで個人的な考えですが、卓越した技術や豊富な知識、手術などの経験もさることながら、医師として最も欠かせないのは、患者さんからの信頼感ではないでしょうか。 「この先生に診てもらってよかった」という安心感ですね。別に大病でなくても、風邪のような軽症でも「先生に処方してもらった薬を飲んだら楽になった」、そんな小さな経験が積み重なって医師への信頼感となり、それが患者さん自身を最終的に治していくと思いますね。 米国の統合医療の草分けでもあるアンドルー・ワイル博士は、「医者がそばにいて患者の話を聞いてくれるだけで治る」といっています。 病気になった患者さんの心細さを癒してくれる医師の存在は実に大きいものです。

山田

確かに大きいですね。不安を抱えた患者さんにとって、真摯に治療してくれる医師は、それだけで安心できる存在ではないでしょうか。

「勘」こそ名医の証明

渥美

それに加え、私が医師の才能として欠かせないと思うのは、「勘」ですね。「人の命が懸(かか)っているときに、勘で治すのか」と皆さんからお叱りを受けそうですが、でもこの勘は、医師としてはとても大事な才能の一つと私は、思っています。 患者さんの体を診たときに、「ここに腫瘍があるかもしれない」とピンとくる勘ですね。どんな秀才であっても、どんなに卓越した技術があってもこの勘がなければ、「一流の医師」とはいえない、と思います。 それと人間が好き、人間に興味を持っていることも名医の条件として欠かせませんね。人間が好きであれば、「目の前で病に苦しむ患者さんを何とかしてあげたい」という思いに駆られるはずです。

山田

ビジネスの世界でも同じです。「こうすれば成功する」「こんなことをしたら失敗する」というのも、経験によって生まれる一種の勘であり、直感です。 また、先生のおっしゃる「人間が好き」というのも、良い仕事を成し遂げるためには欠かせない人間社会共通の資質ですね。

渥美

そう思いますね。私たちが健康で幸せな人生を送るには、一人ひとりが元気で社会参加できる環境をつくることが第一であり、医療は、そのための基盤にならなければなりません。 私は、その思いを実現するため、この11月に財団を設立し、統合医療の視点に立った活動をはじめ、予防医療、エコ医療、セルフケアの考えを普及する本格的活動を開始しようと思っています。 現代医学の専門化が進む中で、もう一度、医学の原点に立ち返り「全体を診る医療」「患者中心の医療」を支える力になりたい、と考えています。

渥美 和彦(あつみ・かずひこ)
(財)渥美和彦記念未来健康医療財団理事長・日本統合医療学会名誉理事長・東大名誉教授:1928年大阪生まれ。1954年東大医学部卒業後、人工心臓やレーザー治療などの研究に取り組む。1984年、人工心臓を装着したヤギの生存世界記録を達成。東大医学部教授などを経て現職。
◎ホームページ http://www.atsumi-kazuhiko.org/
渥美和彦さん
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