健康食品、化粧品、はちみつ・自然食品の山田養蜂場。「ひとりの人の健康」のために大切な自然からの贈り物をお届けいたします。
「あなたにはじめて会ったとき、あたしはまだ、十二だったねえ。あなたはあたしにバイオリンを教えてくれた。きっと迎えに来るからって、このバイオリンを残して船に乗っちゃった。いっしょに行こうって言ってくれたのに、あたしは、船を見送った。あれから、ずーっと待ってる。こんなおいぼれになっても、まだ、待ってる……」
キリコはカーテンのひもにつかまり、だまってコンメリーナばあちゃんを見ていました。
ばあちゃんのしわの間を涙が流れます。
なでつけた髪がみだれて、ふわふわとゆれました。ほそい肩。しわだらけの手。
コンメリーナばあちゃんは、いったい何年、来ない人を待って泣いているのでしょう。
キリコはじっとしたまま、やはり動こうとしないばあちゃんの、海の色のドレスをながめました。よく見ると、その服は色あせ、ところどころに虫くいの穴があります。
やがて、コンメリーナばあちゃんはゆっくりと立ちあがり、ため息をつきました。さっき、さくら色に見えたばあちゃんの頬は、いつものようなかわいた砂の色でした。
「あたしも音楽堂もすっかり古びちまった。音楽堂を作ったら、いつかあの人が帰ってくるって思ってたけど、集まったのはお金とおべっか使いの人ばっかし。今はこんなお化け屋敷なんだもの、いっそのこと売っちまったほうがいいかもしれない」
その言葉がおわるかおわらないうちに、キリコはむちゅうで飛びだしました。
「だめよ、だめ。売らないで。売っちゃだめ」
キリコはコンメリーナばあちゃんのまわりを三度も四度もぐるぐるとまわりました。
けれど、ばあちゃんにはキリコの声が聞こえません。そばにあったほうきをつかんでふりまわしました。
「うるさい。このみつばちめ! いったいどこから入ってきたんだ」
「きゃあ、やめてやめて」
キリコはあっちへこっちへと飛びまわり、やっとのことで、高い天井のランプにつかまりました。
大きなクモがそばに巣をはっていて、キリコをニヤニヤしながら見ていました。
「ああ、おしかったな、かわいこちゃん。おれさまの巣に飛びこんできたら、かわいがってあげたのに」
キリコはそろそろと後ずさりしながら、クモをにらみました。
「食べようったって、そうはいかないわ。あんたの巣、半分やぶれちゃってるじゃない」
「半分でも残ってりゃ、おまえみたいなヤツ、べたべたのぐるぐる巻きだ。それにしても、あのいじわるばあさんを何とかしようだなんて、へん、ちゃんちゃらおかしいや」
クモはあいかわらずニヤニヤ笑いをしながら、キリコを見ていました。
「おかしくなんかないわよ。ばあちゃんはいじわるなんかじゃない。コンメロンさんを待ちくたびれて、つかれちゃっただけだわ」
「ほうきでたたかれそうになったくせに。コンメロンさんなんか、とっくに死んでるさ。船は沈んだよ。このばあさんがいつまでも泣いてばかりいるのはね、顔にしめりけがほしいだけなのさ」
クモはそう言うと、銀色の糸の上をつつつーっとすべって行きました。
クモのほうがよっぽどいじわるでした。
キリコは下を見ました。コンメリーナばあちゃんは、顔を手でおおって、また泣いています。そばに行ってなぐさめてあげたいけれど、ほうきで追いまわされるのはごめんです。
どうしたらいいかわからなくなって、キリコはランプからバイオリンに飛びうつりました。バイオリンはマツの木のいい香りがします。コンメリーナばあちゃんの白い頭がすぐそばにありました。
「そうだわ」
キリコはいいことを思いつきました。
「夢をかなえてあげる、おばあちゃん」
キリコはブーンととびあがり、ポケットの中のこげ茶の虹だんごを、ばあちゃんの頭にころんとおとしました。
「これで、コンメロンさんに会えるわ」
ところが、虹だんごはばあちゃんの頭をすべり、バイオリンの弦をこすって、床にあいていた穴にすべりおちてしまいました。
「あ、虹だんごが……」
キリコは思わずさけびました。
天井でくくく……と、クモが笑うのが聞こえました。
あまりのことにキリコはくらくらして、そのまま窓から空にむかって飛びだしました。目から涙があふれます。
光がまぶしいのとなさけないのとで、目がくらみそうでした。
「たいへん、たいへん」
バタバタおばさんのけたたましい声で、キリコは目をさましました。
「ここはどこ? あ、そうか。あたし、いつのまにか巣にもどって、ねむってしまったんだわ」
コンメリーナばあちゃんにあげるはずの虹だんごを、床の穴の中へおとしてしまったことを思いだし、キリコはきゅっと口をむすびました。
「たいへんだよ、キリちゃん」
バタバタおばさんは息を切らしています。
「外はえらい騒ぎだよ。音楽堂からすてきな音楽が流れてくるもんだから、街じゅうの、いいや、そこら中の街からも人がみんな集まってきたんだよ」
キリコが外を見ると、庭には人がいっぱいあふれていました。あふれるなんてもんじゃありません。お祭りのようにひしめきあっているのです。おまけに道のほうにも行列ができ、それは長く港のほうまで続いていました。
いろんな人がいます。
特許許可局のホトト・ギス氏、一筆作家のホオジロさん、カナカナ新聞のヒグラシさん。音楽家のクツワム氏やスズム氏。ハリセンボン・ノーマス氏とダボラ氏もいます。
その時、キリコにも聞こえました。
バイオリンの音です。
何もかも忘れて、ひたすら耳をかたむけたくなるような、気持ちのいい調べでした。
「あれはコンメリーナばあちゃんのバイオリンだわ。おばあちゃんが弾いているんだわ」
キリコはむちゅうで外に飛びだしました。バタバタおばさんもあとに続きます。
ふたりはみんなの頭の上を飛びこえて、音楽堂のはちみつ色のガラスにぴたっとくっついて、中をのぞきました。
はちみつ色の景色の中に見えたのは、コンメリーナばあちゃんではありません。
それは、マツの木でした。
木は音楽堂いっぱいに枝を広げています。たらした枝を大きくゆすり、その枝から音がわきあがっています。わいてもりあがり、もりあがったかとおもうとこぼれおち、そこからなおもわいてきます。まるで音楽がわく泉のようでした。音は音楽堂をみたし、煙突から、窓から、扉からどんどん街にあふれだしていました。
コンメリーナばあちゃんは中にいて、マツの木をみあげていました。木はばあちゃんの上に枝をたらしていました。
キリコはあいている扉から中に入りました。中にも人がいっぱいです。こんなに人がたくさんいるのに、ちっともさわがしくないのは、みんな、じっと耳をすませているからでした。
キリコはマツの枝に止まりました。
「バイオリンと同じにおい。この木は……」
止まったとたんにすぐにわかりました。
「あの、古いバイオリンなんだわ」
そのときです。マツの木はすべての曲を幹からはきだしてしまい、今度はめきめきと音を立ててさけ始めました。そして、おどろいているみんなの目の前で、大きないっそうの船になりました。
船には人が乗っています。ほがらかな顔の青年です。あかるい瞳、日にやけた肌。手をふりながらさけんでいます。
「おーい。コンメリーナ。むかえに来たよ」
そのとたん、コンメリーナさんは、ぱっとのびあがり、まるでお日さまのようなまぶしい笑顔になりました。そこにいるのは、さくら色の頬をしたやさしい顔の少女でした。
「いくわ。こんどこそ、あたし、船に乗るわ。あなたといっしょに」
コンメリーナさんがマツの木の船に飛びのったとたん、白い波がおしよせてきて船はすべりだしました。波はふたりを乗せた船を、あっという間に、海に連れて行ってしまいました。
音楽堂はきれいな海の色にぬられ、はちみつ色のステンドグラスがとろりと光っています。毎日、音楽会がひらかれます。まわりは『ミナトマチ音楽堂公園』でした。
あの日のふしぎなできごとを、ヒグラシさんが新聞に書いて、ホオジロさんが本に書きました。クツワム氏とスズム氏がオペラにしました。だから、みんながコンメロンさんとコンメリーナさんの物語を知っています。
もうだれも、コンメリーナばあちゃんはいじわるだった、なんて言う人はいません。あのダボラさんでさえ、こう言うのです。
「いやあ、あの人はけなげで、いい人だった」
おやっ?
ダボラさんのひげのさきっぽに、あわい虹がかかっています。
いいえ、ダボラさんだけではありません。マツの木の歌をきいた人たちにはみんな、ちいさな虹がかかりました。
さて、キリの木のうろでは、キリコが首をかしげていました。
「ねえ、バタバタおばさん。虹だんごは穴の中にころげおちちゃったの。なのに、どうして夢がかなったの?」
「夢をかなえるには、虹だんごよりもっと、うんとだいじなものがあるのかもしれないねえ、キリちゃん」
バタバタおばさんはキリコの頭をやさしくなでました。