ミツバチの童話と絵本のコンクール

僕の小さな庭

受賞竹下 知香 様(東京都)

 夕焼けも、どんどん濃くなり始めています。
 やがて、日は沈み、空も山もお花畑もうす紫一色になりました。西の空には、細いみかづきが、すましてうかんでいました。
 さきちゃんがいた場所には、だれもいませんでした。あたりは、ひっそりと静まり返り、ただ、れんげの甘い香のたちこめる中に、エンジンの焼けたようなにおいが、かすかに残っているだけでした。
 ぼくたちは、さきちゃんのお父さんが、トラックをとめていたニセアカシアの木のところまで行った時、同時に小さく叫びました。
「あれっ。」
一番低い枝に、れんげの花でできた小さな輪っかがかけられていたのです。きっと、さっき、さきちゃんが作っていたくびかざりです。
 ぼくは、片手でそれを枝からはずしました。そして、背中のもう一人のぼくにわたしました。もう一人のぼくは、少しためらってから、自分のくびにかけました。
 ざざぁっと、風がふいて草木を揺らしたその時、お花畑の向こうから、チリチリと響きを失った自転車のベルの音といっしょに、ぼくの名前を呼ぶ懐しい声が聞こえてきました。ぼくのお母さんです。思わず、ふりかえろうとしたぼくより早く、もう一人のぼくが、背中からするりとおりて、声のする方にかけよって行きました。立ちつくしていたぼくは、なぜか、あわててニセアカシアの木のかげに隠れました。木にもたれたぼくは、そのままぎゅうっと、目をつぶりました。
 われに返ったぼくは、いつもの部屋のまん中に座っていました。深呼吸を二つ三つしてから、ゆっくりと立ち上がり、開けっぱなしになっている窓の方を見ました。
(ああ、よかった。)
ぼくの小さな庭の初めての花が、無事であることを確かめると、一つためいきをついて、伸びをしました。それから窓辺に行き、今日咲いたばかりの一輪しかないその花に、指先でそっと触れてみました。急に、あのお花やさんに行ってみたくなりました。さきちゃんが、ひょっとしたら、いるような気がしたのです。
 エレベーターが、いつもよりゆっくりのような気がして、じれったくなったぼくは、待ち切れなくて外階段をガンガンとかけおりました。不思議に、その鉄をうちつける足音が、ぼくを落ちつかせてくれました。
 閉店間際のお花やさんのあかりが、夜ににじんで見えました。おじさんが、シャッターをおろそうとしているところでした。ぼくを見ると、
「いやぁ、すまんなぁ。今日は、もう終わりなんだが。」
と、申し訳なさそうに、頭をかきました。と、その時、お店の中から、
「おじさん、ここでいいかしら。」
と涼しい声がして、重たそうな大きなダンボール箱を抱えた、若い女の人が出て来ました。
 その女の人は、ぼくに気がつくと、まっ黒なそのまん丸の目をもっと見開いて、ぼくをまじまじと見つめました。ぼくは、きまり悪くなってうつむくと、なんと、ぼくのくびには、まだ、くびかざりが、さきちゃんにかけてもらった時のまま、しっかりとかかっていたのでした。
 たちまち、ほころんでくるその笑顔を見て、まちがいなく、さきちゃんだと、わかりました。右のほっぺにだけでるえくぼが、少女のころのおもかげを、残していました。
 そして、さきちゃんは、言いました。
「これ、私が、作ったものだわ。」
ぼくは、だまってうなづくと、くびかざりをはずし、さきちゃんにわたしました。すると、さきちゃんは、嬉しそうに自分のくびにかけなおしました。
「これで、やっと、おそろいね。」
と小くびをかしげて笑いました。そして、くびかざりを胸もとで、かるくポンポンとたたきました。
 さきちゃんは、ぼくのことも、あの日のことも、よく覚えていてくれました。
 どうして、あの日から、ぼくたちの小学校に、転校してこなくなったのかもわかりました。
 さきちゃんは、さっき運んできた大きなダンボール箱を開けると、一本のびんを取り出して、ぼくにくれました。
「これ、お父さんが、おつとめしている養蜂場で作っているハチミツよ。」
びんには、れんげの花にとまったみつばちのもよう入りのラベルが、きれいにきちんと貼られています。とても有名な養蜂場の名前も印刷されていました。
「あのあと、山からおりて来た時、お父さんは、旅のお仕事はやめて、ここにおつとめすることになったの。きっと、私のためだったんだと思うわ。だって、それから、ずっと、私は一つの小学校にいられるようになって、転校ばかりしなくてすんだんですもの。」
これを聞いたぼくは、思い切って聞いてみました。
「じゃあ、ぼくのせいじゃなかったんだ。」
と。すかさず、さきちゃんは、ぼくの目をまっすぐ見て、
「ええ、そうよ。」
と、ほほ笑んでくれました。

 ぼくは、夢からさめたような心地で、残りのハチミツのびんを、お店にならべるのを手伝いました。
 さきちゃんは、お父さんが他のお店まわりをしているので、このおじさんのお花やさんのお手伝いをしながら、あしたまで、ここにいるのだそうです。
 心もはずむ思いで、足どり軽く、部屋にもどったぼくは、さっそく、おみやげにもらったハチミツのびんのふたを開けてみました。
 ぽわっと、れんげの花の香で部屋中がいっぱいになりました。そういえば、小学校の給食で一度だけ、さきちゃんのお家のハチミツが出たことがありました。口にいれたとたん、お花の香が、口や鼻の奥まで広がって、とろりと、おなかの中に落ちていく感じでした。そして、おなかが、ジーンとあつくなるのでした。お花のにおいのするハチミツなんて初めてでした。
 次の朝、うす紫色の朝ぼらけの中に、金色の太陽が昇ってきました。一輪、また一輪と、つぼみをつけた細い茎が、いっせいにすくっと立って、その可憐な花を咲かせようとしていました。この日は、日曜日だったので、ずっと見ていたはずなのに、いつの間にか、花がひらいていました。気がつくと、一ぴきのみつばちが、花のすぐ上までやってきて、ブンブンとやっています。
「よく、こんなところまで。よく、見つけるもんだなぁ。」
と、ぼくは、すっかり感心してしまいました。
 そのみつばちは、しばらく、花のまわりをホバリングしたあと、風にのって、フイッと行ってしまいました。
 ふと、窓の下を見おろすと、通りの向こうで、小さな旅行かばんをさげた、さきちゃんが、こちらに向かって、手をふっています。
(そうだ。)
ぼくは、一本だけ、れんげの花をそっとつみとると、階段をおりていきました。下に着くと、ちょうど、さきちゃんが横断歩道をわたってくるところでした。ぼくは、れんげの花の茎の部分をくるっと巻いて、さきちゃんにさし出すと、さきちゃんは、それを小指に通してみて、日にかざしました。うす紫色の花びらみたいな、細かいたくさんの花が一つ一つすきとおって、宝石のようでした。
 いつしか、ぼくたちは、トロンとした茜色の空気に、まわりの景色ごとつつまれていました。そこへ、一台のトラックがやってきて、道端にとまりました。さきちゃんのことを迎えに来たお父さんでした。さきちゃんは、すぐにトラックに乗り込み、ぼくに何か言っているようでしたが、聞こえませんでした。動き出したトラックの窓から手をふったさきちゃんの指が、キラッと光りました。
 あっという間に、さきちゃんを乗せたトラックを、ビルの谷間がすいこみ、その先には、ほんのりとはちみつ色した満月が顔を出していました。
 ふり返って、空を見上げると、ぼくの小さな庭が、そこだけ残照を受けて、うす紫色にうかんで見えました。まるで、灰色の街に灯がともったようでした。

 さきちゃんが、行ってしまったあとも、みつばちがやってきて、ぼくの窓辺をにぎわしています。ちょうちょだって来ます。もちろん、太陽は、こんな小さな場所さえも、忘れないで、光をたっぷりと届けてくれています。
 ぼくも、窓から両手いっぱいに広げて、太陽の光をあびてみました。
 そうだ??、こんどは、ぼくが、さきちゃんのいるところへ行ってみよう。
 そう考えるだけで、窓から見える景色、いいえ、見るもの全てが、生命をもって輝やいて見えてくるのでした。

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