ミツバチの童話と絵本のコンクール

プロジェクト Bee

受賞木次 洋子 様(愛知県)

 もう太陽が沈みかけたグラウンドに、ピーと笛の音が響いた。佑介たち、緑サッカークラブのメンバーは、監督のところへ駆け足で集まってきた。
「えー、そういえば、今日試合の日程が決まった」
 そう言って、監督はポケットからくしゃくしゃになった紙を取り出した。
「ん?見えんな。あ、そうそう」
 思い出したように、今度はかばんから老眼鏡を出してはめる。監督は今年、七十歳になったところだ。みんなは、そんな監督の手元がもどかしくて、ついつい紙をのぞこうと、背伸びをしてしまう。
「えー、最初の相手が南サッカークラブ」
 なんとなくざわざわしたものがみんなの中に起こった。佑介も、隣の海斗と顔を見合わせた。
「日にちは、二週間後の土曜日。えー、十月の十六日だな。勝ったら、またその二週間後で、えーと、何日かな。まあ、いい。そういうことです。では、今日の練習終わり」
 佑介が、大きな声でありがとうございました!と言うと、皆もそろってありがとうございました!と叫び、解散となった。
「ちぇ、最初から南か。誰が抽選したんかな」
 広志がTシャツを着替えながら、ぶつぶつと文句を言った。南サッカークラブは、このN市の草サッカーチームの中で、一番強い。当然、佑介たちの緑サッカークラブは、南に一度も勝ったことがない。佑介がこのクラブに入ってからでも、もう五回南と試合をしているが、惜しかったと言える試合さえ、まだ一度もない。
「南なんて、あの五番さえいなけりゃ、どうってことないのになあ」
 緑で一番足が速い浩太が、もそもそと言った。大きな声で言えないわけは、今まで何度もその五番に抜かれて、ゴールを決められているからだ。
「あいつ、ドリブルめっちゃうまいもんなあ」
「ドリブルなあ…」
 みんな、前回の試合を思い出して、情けない気持ちになった。五番一人に四点も取られて、しかも最後の一点は佑介を抜き、海斗を手玉にとり、浩太をはるか後方に置き去りにして、キーパーの広志の顔面に超強烈なゴールを決められたのだ。それは、屈辱的な一点だった。そんなことを思い出すと、みんななんだか元気が出ない。とぼとぼと暗くなった道を歩いて家に帰っていった。
 それからまた土曜日がやってきた。いつものように、練習が始まる。監督の練習は、とにかく走って、パスの受け渡しがほとんどだ。まだ小学生の佑介たちに、フォーメーションうんぬ んを言ってもしょうがないかもしれないが、もっと積極的な攻撃の練習をしなければ、南には勝てないんじゃないかと佑介は心の中で思っている。しかし、一応キャプテンという立場があるので、まさか監督のやり方に文句を言うわけにはいかない。
「こんなことばっかりやって、どうするんかな」
 少し太めの武が、真っ赤な顔に汗をしたたらせながら、佑介につぶやいた。
「我慢せい。監督が言うんだから、間違いない。監督の言うとおりにしとけば、勝てる」
 佑介は、いつも言っていることをまた繰り返した。
「いくら監督が昔名監督だったからって、昔と今とじゃ、サッカーも変わってきとる。それ、分かっとるんかいな」
「武、文句言う前に練習、練習。おまえ、また後半にばてるで」
「でもな、こんな練習で南に勝てるか。もっと、オフェンスの練習せな、俺たちまだ南から一点も取ったことないやん」
 近くにいた悟郎も、小さな声で言った。なんだか、チーム全体に監督に対する不満が出てきているようだ。
「話はあと、あと。今は練習中」
 佑介は、話を断ち切るように走り出した。
 その日、練習が終わった後、佑介は海斗をさそって監督の家へ行くことにした。監督の家は、いつも佑介たちが練習しているグラウンドからバスで終点まで行かなければいけない。 監督は敬老パスがあるので、いつもバスでやってきて、バスで帰っていく。その日も、監督が乗ったすぐ後のバスに、二人は乗り込んだ。
「監督の家に行って、どうするつもりだ?」
 海斗が、佑介にたずねた。
「分からん。ただ、ちょっと話してみようかなって」
「話すって、何を?」
「うん、みんなが言っていたようなことさ。この練習で、南に勝てるのかとか……」
「ふーん」
 海斗は、そう言っただけだった。海斗は、いつもあまり話さない。文句も言わない。ただ、このチームの中では一番サッカーに対して真剣であることは、みんなよく分かっている。そして、その真剣さに比例して、技術も一番すぐれている。なんとなく、他のみんなとは違っている。
「なあ、海斗は、そう思わんか。あれで勝てるんかなあ」
「南に勝つことに、あんまりこだわりすぎだと思うけどなあ、みんな」
「こだわるさ。ずっと負けっぱなしじゃ」
「あの五番がいなけりゃ、きっとうちのが強いぜ」
「でも、あの五番は南にいるんだから」
「そうだけど……」
 二人は終点につくと、近くの酒屋で監督の家をたずねた。
「君たち、大石さんのチームの子?」
 酒屋のおばさんは、にこにこしながら言った。監督の苗字は、大石といった。
「そうです」
「今行っても、おらんと思うわ。病院にいるんじゃないかな」
「病院?」
「奥さんが入院してて。あれ、知らなかった?言っちゃいけなかったかな。おしゃべりで困るわあ、本当に」
「監督の奥さん、病気なんですか」
「もうずっと、入院してるの。でも、大石さん奥さんのこととても大切にしてみえるの。毎日欠かさず、病院に通って」
「毎日?」
 佑介と海斗は、顔を見合わせた。そういえば、監督は自分のことなどなにも話さない。いつもにこにこして、佑介たちにサッカーの基本を繰り返し繰り返し教えては、帰っていく。
「君たちは知らないと思うけど、大石さんて有名だったのよ。名監督で。中学、高校、大学、いろんなところで教えていたけど、全部優勝させちゃった!君たちも強いんでしょう?」
 佑介は恥ずかしくなって、笑ってごまかした。
「昔は厳しかったのにねえ、今ではすっかりいいおじいちゃんて感じで……」
 そこへ、お客さんが入ってきたので、佑介と海斗はお礼を言って、店の外に出た。
「なんか、よく分からんな。なんで、俺たちには、その、優勝するように教えてくれんのだろう」
 佑介が言った。海斗は黙っている。
 結局、この日二人は監督に会わずに帰った。

 南との試合を明日にひかえて、その日は金曜日ではあったが特別に練習をすることになった。
 練習は、相変わらず基礎的なことばかり。明日が試合だからとて、特別なことをするわけではなかった。ただ、いつもは最後にグラウンドを十周するところを、今日は五周に減っただけだ。
 みんなが並んでグラウンドを走り始めて二周回ったところで、浩太が突然言い出した。
「俺、もう我慢できん。監督に言ってくるわ」
「言うって、何を!」
 あわてて、佑介が浩太の腕をつかんだ。
「こんな走ってばっかりで、南には勝てん。もっと、具体的なことを教えてくれなきゃ、意味ないやん」
 浩太は佑介の手を振り払って、監督のところへ走って行った。佑介があわてて浩太をおいかけたが、チーム一の浩太には到底追いつけない。 その佑介の後を、なんだなんだとみんなも追いかけてきた。
「監督!」
 浩太が声をかけると、野良猫を触っていた監督がようやく皆に気づいた。
「おや、もう五周終わったのかな」
「監督、あの、その、ちょっと、話が……」
「話?何かな。明日のことかな」
「あの、あの、佑介、言えよ」
 浩太は肝心なところで、佑介の背中を押して後ろにひっこんでしまった。監督は、佑介の顔を不思議そうに見ている。佑介は思い切ってたずねた。
「監督、どうしていつも基礎練習ばかりで、もっと攻撃面での練習をさせてくれないんですか。基礎が大事なのは分かるけど、もう少し、具体的な練習をしないと、南には勝てないんじゃないですか。……と、みんな、思っているんですが ……」
 佑介の声が、だんだん小さくなる。みんなは、息をのんで監督の返事を待っている。監督はそんなみんなをやさしい顔で見回してから、うんと一つ大きくうなずいた。
「南に勝ちたいんだな、みんな」
「も、もちろんです」
 浩太が答えた。みんなもうなずいた。
「みんな、ミツバチは知っとるな」
「ミツバチ?」
 武が、すっとんきょうな声を出した。
「そう、あのぶんぶん飛んでいるミツバチ。そのミツバチの巣を、時々大きな蜂が襲ってくる」
「大きな蜂って、クマバチですか」
「そうかもしれん」
「スズメバチですか」
「そうかもしれん。その大きな蜂はな、ミツバチの巣に一匹でやってきて、巣の中の幼虫を食べてしまう。または、持ってかえって、自分とこの幼虫のえさにしてしまう。たった一匹で平気でやってくるなんて、ミツバチを相当ばかにしているんだろう。そうすると、さすがのミツバチも、黙ってはいない。かといって、 一対一の戦いをしても勝てるはずはない。どうすると思う?」
 みんな、ぽかんと監督の話を聞いている。サッカーとミツバチに何の関係があるんや?
「ミツバチはな、その大きな蜂を大勢で囲んでしまうんだ。一番最初にその蜂にとりついたやつは、食われてしまうかもしれん。しかし、どんどんどんどん、その蜂の周りを囲っていく。そのうちに、大きなミツバチのボールができる。そして、みんなでぶんぶん興奮して、どんどんそのボールの中の温度を上げていく。すると、その大きな蜂はその熱で死んでしまう」
 ん?っと、監督はみんなの顔を見回した。
「だいたい、そういうことや。もう何十年も前に見たテレビの番組でやっていたから、ちょっと違うところもあるかもしれん、うん」
 そして、監督はおもむろに時計を見ると、
「では、明日は遅れないように集合するんだよ。佑介、片付けよろしくな。バスが来るから」
 そう言うと、みんなを残して帰っていった。
 みんなは、なんとなく毒気を抜かれた感じで、グラウンドを整備し終わると、三々五々帰っていった。
 佑介は、その日ずっと繰り返し繰り返し監督の話を思い返していた。ミツバチ、ミツバチか……。最近もやもやとしていた佑介の心の中が、だんだんと晴れてくるのが自分でも分かった。
 次の日は、これ以上ないというほどの快晴で、サッカーの試合にはちょっと暑すぎるほどだった。佑介が試合会場に着くと、すでに南の五番の姿がみえた。しかし、いつものように情けない気持ちはもうなかった。
 両チームとも、試合前の練習を終えていよいよ始まるというとき、佑介たちは監督の周りに集まった。
「今日は大変暑くなりそうなので、各自水分補給をしっかりすること。けがのないように」
 監督はいつものようににこにこしてこれだけ言うと、さっさとベンチに戻ってしまった。
「今日も作戦なしか」
 浩太が言ったのを聞いて、佑介はみんなを呼び止めた。
「ちょっと、みんな聞いて。昨日の監督の話について、俺、考えたんだ」
 佑介が海斗の顔を見ると、海斗はにやっと笑った。
「最初、サッカーとミツバチ、何の関係があるんだろうって、俺も思った。でも、ずっと考えていたら、なんとなく分かったような気がする。俺たちはミツバチで、五番がクマバチかスズメバチか知らんが、大きな蜂なんや。俺たち、なめられとるで。あの五番一匹に、いや、一人にやられて」
「でも、しょうがないやん。実力の差は歴然」
「だから!だから、監督はミツバチの話したんとちがうか。あの五番に一人であたっても、だめなんだ。みんなでつぶすんや。一人がだめなら次、そいつがだめなら次、また次。一人であたらんと、何人かであたってつぶすんや。囲んでしまえっていうことや。抜かれたら追いかける。どこまでもねばるんや」
「なんか、疲れそうだなぁ」
 武が、ため息まじりに言った。
「走るのは、得意じゃないか」
 海斗が言うと、
「走るのだけはね。だって、練習でどれだけ走らされているか」
 浩太も、やっと分かったようだった。
「だから、今日は勝つってことも大切だけど、とにかくあの五番に好き勝手させないこと。みんなで追いかけて追いかけて、暑さでへろへろにさせてやろうぜ」
「ミツバチ作戦やな」
 広志が言うと、みんながオーと声を上げた。
 試合が始まった。今日はいつもと違ってみんなの目的が一つなので、動きはすこぶるいい。しかし、だからと言ってすぐに結果に現れるわけではない。 開始後すぐに、五番に一点を入れられてしまった。
「ドンマイ、ドンマイ。これからだ」
 佑介がみんなに声をかけた。みんな、がっくりした様子はない。よく集中している。こんなことは、今までにないことだ。
 そのうちに、徐々にミツバチ作戦の成果が現れてきた。五番がボールを持てなくなってきた。持っても、すぐに囲まれてボールを取られてしまう。やがて、南は作戦を変えたようだ。五番以外の選手で攻めようとしてくるが、そうなると緑にもチャンスができてくる。基礎をみっちりやっているおかげで、おもしろいようにパスがつながって、得点のチャンスが何度もめぐってくるようになった。
「いいぞ、この調子だ。向こうはだいぶばててきてるから、後半は絶対チャンスがくる」
 ハーフタイムで、佑介はみんなに言った。
「相手もばててるけど、こっちもばててきてるで」
 武を指差して、浩太がささやいた。武は赤い顔をして、座り込んでいる。
「どうや、もう無理か。今日は特別暑いし。監督に変えてもらうか」
 佑介が武に声をかけると、武はちらりと監督の顔を見た。監督は、相変わらずのんびりとうちわを使っている。
「いや、まだ。もう少しやらせて。無理だと思ったら、佑介から監督に言って」
 武の言葉に、佑介はうなずいた。海斗と広志と浩太も、顔を見合わせて笑った。
 後半も、緑は走りに走った。みんな、心臓が口から飛び出そうになるまで走った。しかし、結果 は二対ゼロ。結局、南から一点をもぎとることはできなかった。
 佑介が南の監督に挨拶に行くと、
「いやあ、相変わらずよく走るね。見て、うちの五番。もう足がつっちゃってるよ。技に走ると、こういうところで差が出るよ。もう少し緑をみならって、走らせることにしたよ」
 と言われた。
 みんなのところに帰ると、いつものようにうなだれているものはない。みんな、疲れてはいるが、せいせいした顔をしている。
「よう走ったなあ、みんな。それに、みんながまんべんなくボールを触っていた。いい試合だった。さぼっている者は、誰もいなかった」
 珍しく、監督が誉めてくれた。みんなは、なんとなく照れくさそうな顔をした。
「みんな、楽しそうだった。サッカーは楽しくなくちゃいかん。ワンマンチームでは、他のメンバーは全然楽しくない。その一人の選手のためにやっているようなものだからだ。 味方にパスをする、パスを受ける、見方のミスをフォローする、自分のミスをフォローしてもらう。そうやって、チームになっていくんだ。 味方の取りやすいパスを出す、自分がもらいやすい位置に動く。あきらめずにボールを追って走る。みんな、サッカーの基本だ。みんなは、その基本をしっかりやっているから、いつかそれがプレーに出てくる」
 今日、試合をしながらなんとなく分かりかかっていたことが、監督の言葉ですっかり分かった気がした。みんなは、もうこれから練習のことで監督に文句なんか言わなくなるだろう。
 そのとき、監督が誰かに手を上げた。みんながその方を振り返ると、にこにこと笑いながらこちらに歩いてくる人がいる。みんな、すぐに監督の奥さんだと分かった。
「奥さん、退院したんですか?」
 佑介がたずねると、
「ああ。今日。そのまま来たらしい。私より、サッカー好きでね」
 監督は嬉しそうに言った。こんな嬉しそうな監督の顔を見るのは、初めてだった。
「みんな、いい試合でしたね。びっくりしちゃった!監督の話と全然違う!」
「おいおい」
 監督が慌てて言ったので、みんな大笑いになった。
「あちらに、差し入れがあるの。みなさん、どうぞ」
 わあっと歓声を上げて、みんなは走り出した。
「武のやつ、まだ走れるじゃないか」
 監督のあきれた声を背に、佑介も走り出した。今度は試合に勝って、監督のあの嬉しそうな顔をもう一度見たいと、心から思った。

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