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ズドドドド。
「地震だ」デンイチはミカの手をにぎった。
村はずれの見晴台に、きのこ狩りに来ていた。左右の山がどんどこ歩くかというほどの揺れだった。
いまから百五十年ばかり前、その年は正月から地震が続いた。デンイチの住む大沢村でも、秋までに何度か揺れた。家が倒れるほどのことはなかった。が……。
地震から半月もたったある晩のことだ。デンイチは父母と祖母と囲炉裏を囲んでいた。
オバアのしわに埋もれた目が、はすに天井を見上げた。
「耳を澄ませ」乾いた声が発せられた。
デンイチはひさしぶりにオバアの声を聞いてきょろっと笑った。父と母は箸を止めて顔を見合わせた。しんとするとグググと家をずらすような音があった。
「谷に変わったことはないか」
「さあなあ」父は首をかしげた。「そういえば川の水が少なくなってほとんど涸れんばかりだな」
「うかつな」老婆はバシッと膳に箸をたたきつけた。「山津波が来るぞ」
父はバネのように飛び上がった。一目散に外へ走りでた。フレが回った。谷のきしむ音がすでにゴウゴウとどろいていた。
オバアは「見晴台に上る」といった。
「ついていきな」デンイチは母にナタを渡されて暗い山肌を見上げた。
デンイチはナタでやぶを払って登る、そのうしろから杖のオバアがつづいた。十三で元気の盛りのデンイチと、同じ速さで歩む。昨日まで置物のように動かなかったというのに。
「歳をとれば、力の出しどころもわかるってものだ」
デンイチはなにもきかないのにオバアは不思議にこたえた。
なるほどたいしたもんだ。岩か山かというほど頑固な父を、飛び上がらせたのだものな。
デンイチは目を丸くしてうなずいた。
三日月が西の山に沈みかかっていた。暗い谷に松明が動いている。デンイチたちのようにやぶをこいでまっすぐに高台に向かうもの、九十九折の道を行く大勢のもの、しらみの亡霊のごとく燃えていた。
見晴台の木々は赤く色づきはじめていた。つい先日ここでミカの手をにぎったことをニヤニヤと思い出した。オバアにまた見透かされてはたいへん、と顔を引き締めた。そのうち母が登ってきた。父も来た。いくらかの家族が見晴台にやってきて、デンイチはミカと顔を合わせた。小さくうなずいた。
村の低地から松明が消えた。谷を挟んであちらこちらで揺れていた。月が沈んでゆく。山の陰が谷をおおいだした。
「どうせおじゃんだ。せっかくだから見物だ」
オバアは松明を消させた。目が闇になれる。谷の様子が浮き上がった。
大太鼓を乱れ打つような音が足元に伝わった。上の沢でなにかが光った。
「山津波で稲光が起こるとはほんとうだったか」オバアはつぶやいた。
キィッ、キィッとヘビの鳴くような音がした。かん高く空気を貫いた。
「見ろ」押し殺した声でだれかがいった。みなが息をのんだ。
あちこちで小さな光を発しながら、なにものかが谷を動いてゆく。黒い。ナメクジがはうほどにゆっくりに見える。しかし家々を飲み込むのは一瞬だ。大木が倒され根が天を向く。さいころのように大岩が転がる。風が舞い上がって着物のすそをなびかせた。沼のにおいがした。
そうだ。沼だ。ナメクジは動きを止め沼になった。村人の眼下で、谷は沼になった。
畑もない。田んぼもない。あぜもない。家もない。のっぺりとした沼だ。所々引き裂かれた木の幹が夜空をさしていた。まだ動きそうな大岩が濡れた巨体に湯気を上げていた。
村人たちはその光景を眺めつつ、立ちつくして一夜を過ごした。
三日後、代官所から役人が来た。
「復旧に努力せよ」と伝えて帰っていった。形のある話はなかった。
百人ほどの村人はかろうじて残った神社で身を寄せていた。谷中探してクワが三本、それよりほかに使える道具とてなかった。
どうしたらいいか、話し合いがもたれたが、役人が頼りにならないとあってはなす術がない。
「巌谷屋に頼めんかな」だれかがつぶやいた。
役人の話によれば、今回の山津波で下流の玉沢も被害を受け、巌谷屋が援助しているとのことだった。
「あの人は商人だで。カネにならんことはせえへんだろう」
みな無理だと思った。巌谷屋は古くは農民出の商家で、祖先は玉沢村の者だった。玉沢は代々水争いで大沢と仲が悪かった。
それでも他に手がない。一か八かたずねることになった。が、壮年の男たちはみなしりごみした。上流の強みでいままでさんざ玉沢をコケにしてきた。合わせる顔がない。
オバアとデンイチが発った。男たちは獣と戦ったり、なんとかして柱の一本でも建てようと必死である、そういうことにした。
デンイチは玉沢の者と直接争ったことはなかった。しかし悪口はいくらでも聞かされていた。巌谷屋も強欲との評判だった。会いたくもないし頼みごとなどまっぴらだった。
巌谷屋は玉沢にいた。寺に真新しい小屋を建て陣取っていた。
目通りを願うと、中に通された。土間の向こうの板の間に巌谷屋は腰掛けていた。細長い顔がのっぺりと無表情で、デンイチは虫唾が走った。
オバアにうながされてデンイチが文書を渡した。
村の惨状を書き、急場の食料、木材、建築と農耕の道具を要請している。
「たいへんですな」巌谷屋は文書から目を上げた。
「なんとかお助けいただきたい」
「ふむ。しかしね」
オバアは相手の気を読んだ。
「来るべき男どもが来なかったのは申し訳ない。しかし同じ水で育った兄弟と思い」
「兄弟げんかで、兄は弟に頭を下げられんですか」
巌谷屋は皮肉っぽくわらった。
「なにとぞ見殺しにせんでいただきたい」
オバアは腰を折った。デンイチはびくりとも頭を下げない。
「私も藩の桐山様の頼みで故郷の物産はよく買いますが、大沢の物は扱ったことがない」巌谷屋はデンイチに目をやった。
「大沢ではみな自分らが食うだけで精一杯だからな」
「それでは私が助けても甲斐はないというものです」
デンイチは体がかっと熱くなった。
「それはわしらも反省せねばならん」
「このワラシは」
「わしの孫だ。こら、デンイチ、お前も頭を下げい」
デンイチは、はらわた煮えくり返る思いで巌谷屋をにらんだ。
「ふむ」巌谷屋はデンイチの視線を受け流した。「いいでしょう。一度村にうかがいます」
帰り道デンイチは悪態をついた。父を飛び上がらせるほどのオバアに腰を折らせたまま、椅子にもかけさせない。あんな奴の世話になんかなりたくない。
黙って聞いていたオバアがぼそりといった。
「デンイチ。人間はいまこのとき、自分のためだけに生きるわけではないぞ」
デンイチはオバアがなにをいったかわからなかった。が、おでこから尻まで棒を通されたような気がした。それ以上悪態はつけなかった。
翌日巌谷屋がやってきた。当座の食料と材木がいっしょだった。のこぎりや槌も来た。さっそく住居の建築がはじまった。
昼飯のあと、デンイチがしゃがんでひざを抱えていると、そばに巌谷屋が立った。
「まったくひどいものだ」
デンイチはむっとしてこたえない。
「また耕作ができるようになると思うかね」
なるさ、そう怒鳴ってやりたいが、谷の様子を見ればカラ元気も沸いてこない。デンイチの心にも泥が積もっていた。
巌谷屋はデンイチに竹の筒を渡した。
「これがなにかわかるか」
筒はたっぷりと重かった。水が入っているのではなさそうだ。デンイチは筒の栓を抜いた。栓からしたたったものが金色の糸を引いた。
「蜜だ」デンイチは思わず顔をほころばせた。
「ワラシ。わたしと賭けをするかね」
デンイチは巌谷屋を見た。相手の細い目に気後れしてすぐにそらした。
いまいましい。その場を離れてしまいたかった。村がカネを借りている。どうしようもなく卑屈になる自分を感じ、デンイチは顔を真っ赤に染めた。
「賭けってなんです」木くずで地べたをほじりながら聞いた。
「蜂を飼ってみろ」
「蜂? 花どころか草もないのに蜂なんか来ない」
「ならば来るようにすることだ。一年やろう。一年後一滴でも蜜を採ったら、一両で買ってやる」
巌谷屋は西の谷に和作という蜂飼いの名人がいるから訪ねろ、と去った。
意地悪だ。できないと思ってからかっているにちがいない。どんよりしていたデンイチの心に火がついた。
一両だって? 一滴でいいならやってやらあ。
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