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「魔法が解けます。傘を閉じてください。」
頭の中でおばあさんの声を聞いた。
旅人は、言われた通り傘を閉じた。どうやって閉じたかは覚えていない。確か、花畑で傘は持っていなかった気がする。
だけど、気がつくと、旅人は店のカウンターの前に立っていた。
薄暗い店の中では、まだ目が慣れなかった。さっきまでの、一面の黄色が嘘のようだ。
「どうでしたか?」
おばあさんが、にやりと笑って尋ねた。
旅人は、深く息をついた。そしておばあさんを見て言った。
「春が、あんなにすばらしい季節だなんて知りませんでした。僕は、見ました。あれが魔法だと言うなら、きっと、そうなんだと思います。」
旅人は、ほんの短い時間の間に見た、あの景色を忘れることができなかった。旅人の目から見たすべての景色が、旅人の耳から、心から感じたすべてのことが、1つ残らず鮮明に思い出された。だけど、そのついさっきの出来事が、もうずっと昔の記憶のようだった。
「貴方の目から何が見えましたか?」
おばあさんが尋ねた。何かを期待するような、そんな口調だった。
「花畑です。とてもきれいな。」
「花畑……」
「はい、たんぽぽの花です。とても広くて。一面に黄色い花が…。」
旅人は言葉をとめた。おばあさんが、にっこり笑っていた。それは、とてもうれしそうな笑顔だった。
「そう、そうなの。よかった。じゃあ、貴方には見えたんですね?」
旅人は不思議に思った。
「あなたは、見たことがないんですか……?」
「ええ、私は見ることができませんでした。まぁ、傘を開いたのはたった1度きりですけどね。」
「どうして……」
「それは、物が持ち主を選ぶからです。魔法がかけられた物は、かならずそれを必要とする者を選びます。貴方は、魔法を見ることができました。
だから、その傘の持ち主は貴方なんです。」
おばあさんは、静かに微笑んでいた。
「僕が……」
旅人は、手に持ったハチミツ色の傘をじっと見つめた。
「その傘は、この店でずっと貴方を待っていたんですよ。」
手に持ったハチミツ色の傘は、まるで生きているみたいで、何かを旅人に伝えているようだった。
「この店にある全部の物が、ずっと持ち主が来るのを待っているんです。」
旅人はびっくりして、おばあさんを見た。
「この店にある全部って……、ここにある物全部に魔法がかけられているんですか?」
おばあさんは、にやりと笑った。
「そういう店ですから。」
旅人は、おばあさんを見つめた。いったいこの人は何者なんだろう。
おばあさんの瞳は、あいかわらずあやしく光っていた。
「だけど、持ち主以外の人が見れば、ここにある物はなんでもないふつうの物です。それに魅かれることも手に入れたいと思うこともないんです。その傘だって、貴方以外の人が見ればどこにでもあるただの傘にしか見えません。…おかげで、お客さんは何も買わず帰っていくばかり。まったく売れない店なんですけどね。」
おばあさんは苦笑いをしてみせたが、ぜんぜん困っているようには見えなかった。
「だけど、私はこれからもこの店を続けていくつもりですよ。ここにある物が、ちゃんと持ち主に会えるように見届けないといけませんからね。」
旅人は、少し心配になった。
「それって、どのくらいかかるんですか?」
「わかりません。だけど、どんなに長くかかっても持ち主はかならずこの店にやって来ます、導かれるように。貴方みたいにね。」
おばあさんは、いたずらっぽく笑ってみせた。
「だから、ずっとこの店で待つんです。」
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