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みつばちの童話と絵本のコンクール


「はちみつ色の涙」 一般の部 佳作 小林 栗奈 (東京都)

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 エプロンをした子どもがお盆を持ってやってきて、まり子の前に白いカップを置きました。女主人が優しく言いました。
「どうぞ、めしあがれ」
「いただきます」
 カップを口に運ぶと、甘い香りがしました。
「ホットミルクにはちみつを落としたものよ。疲れている時には、とても良いの」
 さらりとした甘さが、口いっぱいに広がります。
 小さな頃、体が弱かったさち子が寝込むたび、おばあさんは銀色のスプーンで、 はちみつをなめさせてくれました。
「ほうら、口をあけて。太陽のしずくだよ」
 きらきら光る甘い蜜は本当に太陽のようで、まり子を元気にしてくれました。いつでも、まり子に差し伸べられた優しい手は、もう二度と戻ってこないのです。
 あたたかな湯気の中で、まり子は、涙をこぼしていました。ぽろぽろと、涙は後から後から頬をつたいました。
「淋しいの」
 まり子は、つぶやきました。言葉にしてしまうと、想いはもう止まりませんでした。
「すごく、淋しいの。悲しいことばかり……」
 女主人は、まり子の髪をそっとなでてくれました。それから、何気ない口調で言いました。
「どうかしら? 少しの間、ここで、お店を手伝ってくれない? きっと良い気分転換になると思うのよ」
 ささやきは、まり子の心をぐらりとゆらしました。滑るようにカウンターから出てきた女主人の手には、子どもたちがつけているのと同じエプロンがありました。女主人は、ふわりとエプロンを広げてみせました。
「忙しいミツバチは哀しんでいる暇がない。そう言うでしょ」
 糸に引かれたように、まり子はふらりと立ちあがりました。女主人の手が、まり子の腰にエプロンをまわし、きゅっと紐を結びます。
 しま模様のエプロンに包み込まれたその時、まり子の頭から、すうっと何かが消えていったのです。悲しい気持ちも、痛むささくれも、嫌なことも、そして、自分が何者であったかさえも。
 女主人は、わずかに腰をかがめて、まり子の目をのぞき込みました。
「今日からあなたは、私たちの仲間。最初に覚える仕事は、地下にある壷の管理ですよ」
 まり子はこくんと、うなずきました。しゃべることも、もう思い出せませんでした。


 石づくりの階段を降りて行くと、大きな地下室がありました。そこには何十もの壷が並んでいて、その全てにたっぷりと黄金のはちみつが入っているのです。
 まり子に与えられた仕事は、その壷からひしゃくではちみつをすくい、陶器の器にうつすことでした。器に移されたはちみつは、別の子どもの手で加工場に運ばれて行きます。
 はちみつはそこで、飴や石けん、ジュースやお酒に姿をかえて、店に並べられるのです。加工場では、数え切れないほどたくさんの子どもたちが、揃いのエプロンをつけて、せっせと働いていました。
 まり子の耳に届くのは、美しい女主人の声だけでした。仲間の子どもたちが話しかけてきても、まるで蜂の羽音のようで、意味もわからぬ響きになるばかりです。 他の子どもたちは互いにおしゃべりを楽しんだり、お客様と話しをしたりしているのに、 まり子は誰とも言葉を交わすことができません。
 それでも、まり子は淋しいとも嫌だとも思いませんでした。
 忙しく働いて、朝と夜には、とびきりおいしいはちみつを口にして、やわらかな寝床に疲れた体を横たえる毎日です。とろんとした、あたたかな日々が、そうして過ぎていきました。


 その日、いつものように、ひしゃくではちみつをすくっていた、まり子は思わず手を止めました。きらきら輝くはちみつの表面に何かの影が写ったのです。それはほんの一瞬のことで、まり子が、一つ瞬きするまに消えてしまいました。白い薔薇が咲く小さな家のようでした。とても懐かしく感じる小さな家です。
 その家がどこにあったのか、まり子は考えました。半分だけ透き通った薄い布ごしに世界を眺めているような、もどかしい想いがあります。
 ひしゃくを手にしたまま、まり子は壷の側に腰をおろしました。地下室にあるたくさんの壷の中でもひときわ大きいその壷は、まり子の姿を、すっかり隠してしまいました。
 はちみつの壷によりかかったまま、ぼんやりとしていたまり子は、ふいに聞こえてきた声に顔をあげました。
「だって、あの娘がそれを望んでいるのだから」
 はっきりと聞こえるのは、女主人の声です。
「悲しみも淋しさもない世界。必要とされ、仲間と共に働き、飢えることもなく、 安心して眠る。これ以上の幸せがあるかしら?」
「だが、人は人としてしか生きられない」
 まり子は思わず声をあげるところでした。女主人に答えたのは年老いた男の人です。その人の声が、はっきりと聞こえたのです。あれは確か、まり子をこの店に案内してくれた老人の声です。いったいどれだけ昔のできごとか、もうわからないけれど。
 老人は言いました。
「幸江がそうだったように。あの娘もやがて気づくだろう。捨てることのできない現実があることを」
 聞き取れたのは、それだけでした。まり子の耳はまた、やわらかな綿をつめこまれたように、低い羽音と女主人の言葉以外は何も聞こえなくなってしまったのです。
 でもそれから、まり子は仕事の合間に手を止めては、はちみつの壷をじっとのぞき込むようになりました。ちらりちらりと、写っては消え写っては消える影を、ひとつひとつ拾い集めて、ひとつひとつ、思い出していきました。
 白いバラの咲く家に住んでいたこと。会社では経理を担当していて、この春はじめての部下を持ったこと。水曜日の夜はプールに通っていること。両親を早くに亡くして、おばあさんと二人ぐらしだったこと。 たくさんの愛情を、おばあさんからもらったこと。
 まり子は、はちみつの壷をのぞき込みました。黄金の鏡に写っているのは、誰よりも会いたかった懐かしい人でした。
「泣くのも怒るのもいいさ。でも、それで日ぐらしは、いただけない。人生はあっという間なんだから。楽しいことをたくさんみつけて、大切にしなくちゃ」
 あの、しゃきしゃきとした声が聞こえてくるようでした。もう二度と会えない人なのに。
 おばあさんを思い出しても、今はもう、心の洞を冷たい風が吹き抜けていくような、あの淋しさはありませんでした。痛みも悲しみも、変わらずそこにあるけれど、 胸をひたひたと、あたたかな想いが満たします。
 まり子は、しゅるんと小さな音をたててエプロンの紐をほどきました。



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