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| もうすっかり春の日差しとなったある日、2頭のツキノワグマはなんと子グマ二頭を連れてトチノキ山に帰っていきました。そこで、オミツばあちゃんは村人にてつだってもらい、壁のクズのツルを根こそぎとりはらって、その根っこからクズもちをつくりみんなで食べてしまいました。 「変ちくりん一本杉を見にいったら、そのなかは山のほらあなよりでかくって、冬ごもりするのにえらくちょうどいいのさ。おまけに蜂に刺されずにハチミツもたくさんなめられるし、今度の冬も一本杉さ。」 などとツキノワグマに思われてしまったらたまりません。毎冬毎冬アヤとオミツばあちゃんはクマに家をあけわたすことになります。そんなことにならないように、壁のツルをぜんぶ取って家のようすを変え、みょうな一本杉に見えないようにしたわけです。村の人たちはアヤとオミツばあちゃんが安心してくらすにはどうしたらよいか、と考えました。そして、「山の守り神」へのお供えとして、冬が来る前に、ハチミツのかめを山の一番大きなトチノキにくくりつけよう、ということになりました。 ツタをとりはらったせいか、お供えのハチミツのせいか、つぎの冬からはクマが村に下りてくることはありませんでした。アヤとオミツばあちゃんは、冬の間も三角屋根の家で糸まりをつくったり、カゴをあんだりしながら過ごすことができました。クズのうすむらさきの花を見られなくなったのは、村人たちにとってちょっぴり残念でしたが……。 じつは、はっきりとはわかりませんが、クマさわぎのあったあくる秋、クマはアヤの家の前まで一度やってきたらしいのです。その日、アヤがオミツばあちゃんと村祭りからかえってくると、戸口のまえに実をいっぱいつけたトチの枝がおいてありました。ゴンじいさんが山からもってきてくれたのだと思ってあくる日たずねると「うんにゃ、きのうは山行きはやすみで、村祭りでみこしかつぎだ。」とのことです。たしかに、この村で春と秋の村祭りに行かない人はいません。では、トチの枝はいったいだれがもってきたのでしょう。ゴンじいさん、あご先のヒゲを思いきりねじってから、おおきくうなずきました。 「クマのお礼参りにちげえねえ。この前、アヤん家(ち)でえらくここちよく冬ごもりして、子どもも2頭げんきに生まれたんで、『世話かけたな』ちゅう気持ちをつたえたかったんだべ。クマってのはそういうりちぎなところのあるヤツだ。」 トチの枝をくわえて山から下りてくるクマを想像すると、アヤはなんだかクマがとてもかわいく思えてきました。 その日、アヤはオミツばあちゃんからトチもちのつくり方をおそわりました。 アヤが十二になった冬、オミツばあちゃんはカゼをこじらせてあっけなく死んでしまいました。アヤは一生分の涙をぜんぶ流したのではないか、と思えるほど泣きました。そして、オミツばあちゃんにそっとマントをかけてやりました。むらさき色のマントにくるまり、オミツばあちゃんの白い肌がよりいっそう白くすきとおってみえました。マントのポケットに手紙がはいっていました。それには、こう書いてありました。 「アヤ、おまえはばあちゃんがいなくなっても、ちゃんとやっていくだぞ。ダイコンだろうと青菜だろうとつくれるし、着物はばあちゃんよりしっかりつくろえる。ごはんはほんわか炊きあげる、のどがガザっとしたときのハチミツのながしこみかたは天下一品。お産のてつだいだってもう十分できる。ばあちゃんのできることでおまえにできないことはなーんもない。ばあちゃん毎日すごくたのしかった。おまえはばあちゃんへの神さまからの贈り物だ。 で、おまえにひとつお願いがあるのさ。ばあちゃんを焼いた灰は、ブナ森んとこの原っぱにまいておくれね。あの原っぱは、ばあちゃんが大好きだったとうさんと毬(まり)をけって遊んだ原っぱなのさ。」 ブナ森のわきの原っぱにはうっすらと雪が積もっていました。アヤはオミツばあちゃんの灰を、種まきでもするかのように原っぱいっぱいまきました。灰をまきながら、アヤはオミツばあちゃんとのことをあれこれ思いだしました。オミツばあちゃんは楽しい思い出ばかりを山とくれました。悲しいことやいやなことなどこの世にはないと思えるぐらいでした。オミツばあちゃんのマントにくるまり、お化けナスみたいになりながら、「とうさんから聞いた話で、その昔……」と始まる遠い外国のことや、荒れてケモノのようにほえる海のことを聞くのはたまらなく心がおどりました。でも、オミツばあちゃんのマントにくるまることはもう二度とないのです。マントもオミツばあちゃんといっしょに灰になってしまったのですから。アヤは灰をすべてまきおえると、三角屋根の家にもどり、モグラがびっくりして土の中からみんなとびだすぐらい泣きました。 ひとりぼっちになったアヤを村の人たちは気づかい、自分の娘にならないかとか、ちょっと早いけれど、うちの息子のお嫁さんにならないか、とか言ってくれました。でも、アヤは三角屋根の家をはなれるのはいやでしたので、ひとりですみ続けることにしました。村の人たちもアヤの気持ちをわかってくれました。 そして、ゴンじいさんはトチノキ山のかえりに、たきぎや木の実のおみやげなどをかかえてやってきましたし、蜂飼いのゲンゾウおじさんや息子のゲンタはハチミツを竹筒(たけづつ)につめてもってきてはアヤのハチミツのかめにあけるのでした。庄屋さんの奥さんはようかんをつくったり、おもちをついたりするたんびに、「いろいろ使えるから」とアヤのあんだカゴを買っていったり、「子どもが気に入ってるから」と糸まりを買っていくのでした。 トチノキ山の雪も消え、もうすっかり春になりました。アヤはブナ森わきの原っぱにいってみようと思いたちました。オミツばあちゃんの灰をまいてからというもの、深い雪にとざされたため一度もいったことはありませんでした。 原っぱが近づくとマントの中のアヤの頭をおもいっきりゆすって笑ったオミツばあちゃんのことを思いだし、泣きそうになりました。ブナ森に光があたって白く明るく見えました。原っぱは……と見ると、むらさき色の花が毛足の長いジュウタンをしきつめたように一面に咲き、まだ早い春の風にゆれていました。いつもは春になっても、この原っぱには小さな白い花がほんの少し咲くぐらいのものでしたのに、いったいぜんたい、どうしたことなのでしょう。アヤはしばらくのあいだ、このお日さまの光と手をつないでキラキラ輝くむらさきの原っぱにぼうっとつっ立っていました。ブナ森の濃い緑、ときおり白い歯を見せるお日さまの光、きみどりの若芽色の服を着たトチノキ山、そしてむらさきの原っぱは、この世に「きれい」という言葉をうみだした景色はこれです、と言っているようでした。 アヤは引きよせられるように原っぱの中にはいっていきました。そして、そのビロードみたいにしなやかな花の中に横たわりました。花の中にうずもれ、お日さまの光をあびていると、やわらかいフトンにつつまれたようなこの感じが何かににている、とアヤは思いました。そうです。オミツばあちゃんのむらさき色のマントにくるまったときの、ふんわりとあたたかかったあの感じです。それに、このほんのりと甘く、やぎの乳をあたためたときのようなにおいは、まちがいなくオミツばあちゃんの匂いです。 アヤにはわかりました。オミツばあちゃんがこの花を咲かせてくれたことが。 それからというもの、毎年春になるとブナ森わきの原っぱにはむらさきの花が咲き、村人たちは「オミツさんのむらさきマントを広げたようだ」と喜びました。で、いつしかこの原っぱは「マントが原」とよばれるようになりました。 そしてアヤはなんと蜂飼いになりました。なぜって、蜂飼いになれば春のあいだじゅう、このむらさきの花のなかでオミツばあちゃんの香りをむねいっぱいすいながらすごせるからです。ミツバチたちが花から花へといそがしくとびまわって蜜をあつめているとき、アヤは花の中によこたわり、オミツばあちゃんの変わった節回しの歌を思い出すのです。ミツバチたちのあつかい方は、ゲンゾウおじさんとゲンタが教えてくれました。アヤがすっかり蜂飼いのやりかたをおぼえてからも、ゲンタは毎日のようにアヤをてつだってくれました。 この花からとれたハチミツは、うっとりとねむくなるような春のお日さまの香りがし、「ノジコ村のむらさき蜜」としてたいそう評判になりました。あっさりした甘さで人気のある「トチ蜜」に加え、春のお日さまの香りと金色に輝く色の「むらさき蜜」とで、ノジコ村はますますハチミツで名を知られました。そのうち、江戸の人たちは「ハチミツはノジコ村が一番」と言い合うようになりました。 春になったらトチノキ山のふもとのノジコ村にあるブナ森わきのマントが原にでかけてごらんなさい。今もむらさき色の花が原っぱいっぱい南の風にもまれ、ミツバチたちがいそがしそうに金色の花粉にむせながら蜜をすって飛び回っているのが見られます。 そして、そのミツバチたちの巣箱をぐあいよく並べ、からだじゅうむらさき色に輝かせているのがアヤとゲンタの……孫とその子どもたち、にちがいありません。 |

| ブナ森のわきの原っぱにはうっすらと雪が積もっていました。アヤはオミツばあちゃんの灰を、種まきでもするかのように原っぱいっぱいまきました。灰をまきながら、アヤはオミツばあちゃんとのことをあれこれ思いだしました。オミツばあちゃんは楽しい思い出ばかりを山とくれました。悲しいことやいやなことなどこの世にはないと思えるぐらいでした。オミツばあちゃんのマントにくるまり、お化けナスみたいになりながら、「とうさんから聞いた話で、その昔……」と始まる遠い外国のことや、荒れてケモノのようにほえる海のことを聞くのはたまらなく心がおどりました。でも、オミツばあちゃんのマントにくるまることはもう二度とないのです。マントもオミツばあちゃんといっしょに灰になってしまったのですから。アヤは灰をすべてまきおえると、三角屋根の家にもどり、モグラがびっくりして土の中からみんなとびだすぐらい泣きました。 ひとりぼっちになったアヤを村の人たちは気づかい、自分の娘にならないかとか、ちょっと早いけれど、うちの息子のお嫁さんにならないか、とか言ってくれました。でも、アヤは三角屋根の家をはなれるのはいやでしたので、ひとりですみ続けることにしました。村の人たちもアヤの気持ちをわかってくれました。 そして、ゴンじいさんはトチノキ山のかえりに、たきぎや木の実のおみやげなどをかかえてやってきましたし、蜂飼いのゲンゾウおじさんや息子のゲンタはハチミツを竹筒(たけづつ)につめてもってきてはアヤのハチミツのかめにあけるのでした。庄屋さんの奥さんはようかんをつくったり、おもちをついたりするたんびに、「いろいろ使えるから」とアヤのあんだカゴを買っていったり、「子どもが気に入ってるから」と糸まりを買っていくのでした。 トチノキ山の雪も消え、もうすっかり春になりました。アヤはブナ森わきの原っぱにいってみようと思いたちました。オミツばあちゃんの灰をまいてからというもの、深い雪にとざされたため一度もいったことはありませんでした。 原っぱが近づくとマントの中のアヤの頭をおもいっきりゆすって笑ったオミツばあちゃんのことを思いだし、泣きそうになりました。ブナ森に光があたって白く明るく見えました。原っぱは……と見ると、むらさき色の花が毛足の長いジュウタンをしきつめたように一面 に咲き、まだ早い春の風にゆれていました。いつもは春になっても、この原っぱには小さな白い花がほんの少し咲くぐらいのものでしたのに、いったいぜんたい、どうしたことなのでしょう。アヤはしばらくのあいだ、このお日さまの光と手をつないでキラキラ輝くむらさきの原っぱにぼうっとつっ立っていました。ブナ森の濃い緑、ときおり白い歯を見せるお日さまの光、きみどりの若芽色の服を着たトチノキ山、そしてむらさきの原っぱは、この世に「きれい」という言葉をうみだした景色はこれです、と言っているようでした。 アヤは引きよせられるように原っぱの中にはいっていきました。そして、そのビロードみたいにしなやかな花の中に横たわりました。花の中にうずもれ、お日さまの光をあびていると、やわらかいフトンにつつまれたようなこの感じが何かににている、とアヤは思いました。そうです。オミツばあちゃんのむらさき色のマントにくるまったときの、ふんわりとあたたかかったあの感じです。それに、このほんのりと甘く、やぎの乳をあたためたときのようなにおいは、まちがいなくオミツばあちゃんの匂いです。 アヤにはわかりました。オミツばあちゃんがこの花を咲かせてくれたことが。 それからというもの、毎年春になるとブナ森わきの原っぱにはむらさきの花が咲き、村人たちは「オミツさんのむらさきマントを広げたようだ」と喜びました。で、いつしかこの原っぱは「マントが原」とよばれるようになりました。 そしてアヤはなんと蜂飼いになりました。なぜって、蜂飼いになれば春のあいだじゅう、このむらさきの花のなかでオミツばあちゃんの香りをむねいっぱいすいながらすごせるからです。ミツバチたちが花から花へといそがしくとびまわって蜜をあつめているとき、アヤは花の中によこたわり、オミツばあちゃんの変わった節回しの歌を思い出すのです。ミツバチたちのあつかい方は、ゲンゾウおじさんとゲンタが教えてくれました。アヤがすっかり蜂飼いのやりかたをおぼえてからも、ゲンタは毎日のようにアヤをてつだってくれました。 この花からとれたハチミツは、うっとりとねむくなるような春のお日さまの香りがし、「ノジコ村のむらさき蜜」としてたいそう評判になりました。あっさりした甘さで人気のある「トチ蜜」に加え、春のお日さまの香りと金色に輝く色の「むらさき蜜」とで、ノジコ村はますますハチミツで名を知られました。そのうち、江戸の人たちは「ハチミツはノジコ村が一番」と言い合うようになりました。 春になったらトチノキ山のふもとのノジコ村にあるブナ森わきのマントが原にでかけてごらんなさい。今もむらさき色の花が原っぱいっぱい南の風にもまれ、ミツバチたちがいそがしそうに金色の花粉にむせながら蜜をすって飛び回っているのが見られます。 そして、そのミツバチたちの巣箱をぐあいよく並べ、からだじゅうむらさき色に輝かせているのがアヤとゲンタの……孫とその子どもたち、にちがいありません。 |