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東京がまだ江戸とよばれていた時代です。トチノキ山のふもとにノジコ村というちいさな村がありました。トチノキがたくさん生えているのでトチノキ山、きれいな声でさえずるノジコというきみどり色の小鳥がたくさんいるのでノジコ村、とよばれていたわけです。
ノジコ村はおいしいハチミツで有名なところです。トチノキのピンクがかった白い花がたくさん咲くころ、村の蜂飼いたちはミツバチの巣箱を山に運ぶのです。冬のあいだ巣箱にとじこもっていたミツバチたちは、いそがしい春がやってきたことに気がつき、羽根をのばし、からだを2、3回ぶるぶるっとふるわすと春の光のなかに飛び出します。トチの花はたくさんの蜜をもっていますので、ミツバチたちは赤茶色の花粉にからだを染めながら、思いっきり蜜をすいます。「ノジコ村のトチ蜜」はあっさりとした甘さで江戸の町の人たちにも人気がありました。
アヤとオミツばあちゃんはノジコ村のはずれに住んでおりました。
オミツばあちゃんはうらの畑で野菜をつくったり、村で赤ちゃんが生まれそうになると、よばれていったりしました。オミツばあちゃんはわらでとてもぐあいのよい座イスをつくり、もういまにも赤ちゃんが生まれそうなおかあさんをそれに座らせ、じょうずに産ませるのでした。むかしはみんな自分の家で赤ちゃんを産んだので、オミツばあちゃんのような赤ちゃんをじょうずに産ませてくれる人がどの村にもいたのです。
さて、アヤもわらのイスで生まれたのですが、母親はとてもからだが弱く、アヤを産んですぐ死んでしまいました。父親は飛脚(ひきゃく)といういまの郵便屋さんのような仕事をしていましたが、アヤが生まれるまえに、庄屋(しょうや)さんの手紙を江戸の町までとどけにいったきりもどってきませんでした。なんでも山津波にやられたんじゃないか、とのことでした。山津波というのは大きな山くずれのことです。そのころひどい雨がふりつづき、ノジコ村から江戸に行くとちゅうの山で、山のかっこうまで変えてしまうほどの山津波がおきたのでした。アヤの父親はちょうどそこへ行きあわせてしまったのでしょう。
そんなわけで、アヤは生まれてから一度も母親にも父親にもだかれたことがないのです。オミツばあちゃんはそんなアヤをかわいそうに思い、ひきとって育てているのです。ですから、オミツばあちゃんとアヤは血がつながっているわけではありませんでした。でもそんなことはたいしたことではありません。なぜなら、アヤはオミツばあちゃんがだいすきでしたから。ですから、いつもオミツばあちゃんのむらさきのマントにいっしょにくるまっていました。なにも着たくない夏の暑い日をのぞいて、オミツばあちゃんは濃いむらさき色のマントをはおっておりました。村人のほとんどが麻のしま柄の着物しか着ていないので、それはとてもめだちました。そのマントはオミツばあちゃんの父親の形見なのです。
じつはオミツばあちゃんの父親は南蛮人でした。そのころ、日本では、スペイン人やポルトガル人のことを「南蛮人(なんばんじん)」、オランダ人のことを「紅毛人(こうもうじん)」と呼んでいました。オミツばあちゃんの父親は日本にキリスト教を広めようとやってきた宣教師たちを運ぶ船乗りでしたが、オミツばあちゃんの母親と結婚して日本に住むことにしたのです。つまり、スペイン人の父親と日本人の母親とのあいだに生まれたのがオミツばあちゃんなのです。そのせいで、オミツばあちゃんの目の色は深い深い海のなかのようなみどり色をしていました。そして、オミツばあちゃんのなまえは、ほんとうは「ミエル」というのでした。「ミエル」というのはスペイン語で「蜂蜜」という意味です。オミツばあちゃんの父親は南スペインの「アロージョ・デ・ミエル(蜜の流れ)」という村の出身でした。ですから、オミツばあちゃんが生まれたときに、「ミエル」という名前をつけたのです。でも、日本人には「ミエル」という名前はとてもおぼえにくいので、いつしか村人たちはその意味をとって「オミツさん」と呼ぶようになりました。
さて、変わっていたのはオミツばあちゃんのようすだけではありませんでした。住まいもとても変わっていました。村の家はほとんどわらぶき屋根に土壁でしたが、アヤの家は板ぶきの三角屋根で、そのほかのところは壁も床もすべて石という、外国の小さな教会のようなつくりでした。そして、3年前の春まで家はクズのツタにおおわれていました。壁といわず屋根といわず緑のハート形の葉にくるまれて、遠くからみると茂りすぎたばかでかい一本杉のようでした。花の咲くころにはうすむらさき色の絵の具をちらしたようで、そばを通
る人はかならず立ちどまらずにはいられないほどでした。でも、「クマさわぎ」が起きてからは、そのクズの葉はすべてとりはらわれてしまいました。
それはオミツばあちゃんが庄屋さんのところに生まれた赤ちゃんの髪をそりに行くのに、アヤもついていったときのことでした。むかしは赤ちゃんの髪をきれいにそって、新しいきれいな髪がはえてくるようにしたのです。アヤは庄屋さんのぷっくりと太った赤ちゃんをだっこさせてもらったり、コンペイトウというめずらしいお菓子をごちそうになったりしました。
秋も深まっていましたので、アヤは帰るころ風が少しつめたく感じました。アヤがいつものようにオミツばあちゃんのマントにくるまり、家の前まできたとき、しめていったはずの戸があいておりました。どうしたことかと、そおっと中をのぞいて、びっくり。ツキノワグマが2頭へやの中にいたのです。そして、蜂飼いのゲンゾウおじさんからいつもわけてもらっているハチミツのかめに、かわるがわる前足をつっこんでは、おいしそうにハチミツをなめているのです。アヤはオミツばあちゃんとあわてて飛びだし、村の人たちとどうしたものか相談しました。きこりのゴンじいさんによると、「クマってヤツはめずらし好きだからよ、変な一本杉みてえなのがあるのを山のほうから見つけて見にきたんでねえだか。」ということでした。そのうえ「クマってヤツはハチミツ好き」なので、「ハチミツのかめのあるアヤん家(ち)がえらく気に入ったにちげえねえ」とのことでした。この村では、クマは昔から「山の守り神」と言われていますから、鉄砲でうつわけにもいかないのです。そのうち出ていくだろうと、ようすを見ることにしました。が、3日たち1週間たちしても出ていくふうもありません。ゴンじいさんの言うように、「ツタにおおわれとるわ、ハチミツのかめはあるわで、アヤんとこがすっかり気にいっちまった。」らしいのです。
けっきょく、アヤはオミツばあちゃんと庄屋さんの家のはなれでひと冬過ごしました。
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