「おや」
ぼくは目をこすりました。
会社の昼休み、いつもランチを食べている店が休みでした。がっかりして、ぼくはぶらぶら歩きまわりました。
と、一件の店が目にはいりました。その店はビル街にそぐわないほど落ち着いたふんいきを持っています。
「ふしぎな魚あります。 レストラン・ねこ」
これを見て、ぼくは舌なめずりをしました。というのは、ぼくは魚が大好きだったからです。
それに、「レストラン・ねこ」なんて、いかにもおいしそうな名前ではありませんか。ドアを押すと、さわやかな風が吹いてきました。
見ると、草原が広がっていました。ぼくは思わず目をこすりました。
真ん中に木がいっぽんあり、そこに白いテーブルとイスがあります。
ははあ、あらてのデコレーションなのでしょう。
ぼくは、イスにすわると、木の枝からつりさがったよび鈴をならしました。
まるで、スイスの高原にいるような気分がします。
「いらっしゃいませ」
ぼくは、びっくりしてイスから飛び上がりました。
いつのまにか、ぼくの目の前にひとりの少女が立っていました。
「何にしますか?」少女は、高原の風にゆったりした髪をなぶられながら言いました。
その少女には髪のところにぴんと耳がとがっていました。
「メニューはありますか?」ぼくは、たずねました。
「はい」少女は、こわきにかかえていた板をさし出しました。
「当店のおすすめ料理。 まん月生まれのサケのハチミツ煮」
その板には、それだけしか書いてありません。
「ほかに料理はないの?」
「はい」
少女のへんじを聞いて、ぼくは「まん月生まれのサケのハチミツ煮」を注文しました。
少女は、見ていると、少しずつすきとおり、いつのまにか背景の草原に消えてしまいました。
穴のあくほど見ても、どこにもカーテンやしかけがあるとは、とうてい思えません。
高原は、いかにも本当らしく、ぼくはうっかり東京の町中にいるという気がしませんでした。
空には、羊雲の群れが、ゆったりとおよいでいます。
草原のかなたは、うすく青い山が立ち、頂上には白い雪が残って見えます。長野県の高原あたりの景色とそっくりです。
こんな所だったら、のんびりできていいなあ。そんなことをぼんやり考えていると、えっちら、えっちらというかけ声が聞こえてきました。
草原の方からでした。目をこらすと、だれかが肩に何かをかついで来るのがぼんやりと見えます。
やがて、それが人間ではなく、まぎれもなくいっぴきの大きなクマだということに気づきました。クマは、背中にしょったにもつを時々せりあげながら、陽気に口笛を吹きながら近づいてきます。
ぼくは、いっしゅんどこへ逃げようかと思いました。この広い草原では、どこへいってもすぐに見つかってしまいそうです。
クマはもう近くまできました。
「こんにちは」クマは、そうあいさつしました。「よいおひよりで」
ぼくは、悲鳴をあげそうになりましたが、ようやくのどの奥に押し返しました。
「こんにちは」ぼくは、しどろもどろになって答えました。
「ああ、こんな日はのんびりとひなたぼっこでもしていたいな」
クマは、ぼくのとなりに腰をおろすと、肩にせおっていたゆうびん袋のようなにもつをテーブルの上に置きました。
袋の中からブンブンブンとハチの音がしています。
「これですか」クマは、ぼくの視線に気づいて、袋をポンポンたたきました。「おさっしのとおり、ミツバチとその巣です」
袋の中では、怒ったミツバチがますますはげしい勢いで、ブブブブブと羽音をさかんに鳴らしています。
「ハチをどうするんですか」ぼくは、おそろしさをわすれて、たずねました。
「何をするって、あなた」クマはほそい目をパチクリして、「ハチミツを食べるに決まっているじゃありませんか」
「ははあ」ぼくは、みょうに感心してしまいました。人間そっくりに話すクマにもおどろきますが、そのくせクマらしい態度に(やっぱりクマなのだ)と安心したのです。
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