ミツバチの童話と絵本のコンクール

僕の小さな庭

受賞竹下 知香 様(東京都)

 ある夕暮れのことでした。
 ぼくは、仕事の帰りに、いつも通りかかる街角のお花やさんの店先の、広告に目がとまりました。
『はちみつの花 苗あります』
広告の前で立ち止まっていると、お店の奥から、声がしました。
「いらっしゃいませ。」
そのかわいらしい声の持ち主は、いつものおじさんではなく、見なれない女の子でした。
 ぼくが、わざと目をそらして広告に見入っているふりをしていると、
「今日は、おじが、ようじで出かけているので、かわりに私が、お店の番をしているんです。」
と、女の子は、説明してくれました。
 ぼくは、なんだか、おかしいやら、気の毒な気分になってしまいました。それに『はちみつの花』という名前の響きにも、魅かれたので、
「これ、ください。」
と、広告を指さしました。
「ありがとう、ございます。」
女の子は、ペコッとおじぎをすると、しゃがんで、はちみつの花の苗らしきポットの一つをとると、大切そうに手さげ袋に入れ、ぼくに手わたしてくれました。
 ひさしのような前髪の下から、まっ黒でまん丸な瞳が、ぼくを見上げています。ぼくは、あわてて、苗を落とさないように気をつけながら、お金を女の子にわたして、お店をあとにしました。
 そして、小さな手さげ袋に入った苗を大切に抱えて、ビルの立ちならぶ隙間の狭い路地をぬけて、広い通りをわたりきった正面の灰色の建物の一角にある、ぼくの部屋へと向かいました。

 ぼくは、通りに面した、五階の一番すみっこの部屋に住んでいます。いつもは、まっ暗な部屋に一人で帰ってくるぼくも、今夜はいつもとちがって、鍵をまわす指先まで踊っていました。何度も鍵を落としたり、片方のくつがなかなかぬげなかったりしながら、やっと部屋の中に入りました。
 すぐに、はちみつの花の苗を、素焼きの鉢にうつしかえ、窓ガラスとフェンスとの間に据えました。なかなか、いい感じです。ぼくの小さな庭の完成です。
 それから毎日、このすてきな名前の花は、どんなだろうと、ワクワクしながら、時には、女の子が「お花のごはんです」といって手わたしてくれた肥料もやりました。
 そういえば、あの日以来、あの女の子を見かけないなぁと思っていた、そんなある日の朝、小さな庭に、つぼみをつけているのを発見しました。この日、ぼくは仕事だったので、留守の間は太陽におねがいすることにして、水をたっぷりあげてから、出かけました。
 この日は、一日中、仕事をしていても、ぼくの小さな庭のことを思い起こしては、
(今ごろ、おひさまが、当たってるんだろうなぁ)
とか、
(つぼみは、もう、ひらいたかな)
とか、考えていました。終わりの時間と同時に仕事場を飛び出して、お花やさんの前もさっさと通りすぎ、路地などは全速力で走りぬけて、ぼくの部屋へとかけ上がりました。
 窓を開けると、そこには、小さくてかわいらしい、うす紫色の花が、一輪、ぽっ、と、咲いているではありませんか。あたりは、もう、すっかり暗かったけれど、そこだけ灯がついたようでした。いつでも、ぼくの小さな庭に咲いた小さなお花が見えるように、その晩、窓は開け放したままにしておくことにしました。
 電気もつけずにいたことに、気がついたぼくは、いったん、スイッチに触れたのですが、その手をおろしました。あかりをつけてしまうと、ずっと大切にしてきたなにかが、消えてしまいそうな気がしたからです。ぼくは、瞳を静かに閉じて、その場にしゃがみこみました。時折、夜風が、ぼくの鼻をくすぐると、土と草のにおいにまじって、ほのかにお花の香りがしました。

 どのくらい、目をつぶっていたでしょうか。ふわぁっと、まぶたの奥が明るくなり、小さな虫たちの羽音や、鳥のさえずり、小川のせせらぎなどが、聞こえてきました。梢杪を揺らし、木の葉の間をすりぬけた甘い風が、ほっぺたをなでて、ぼくを包み込みました。
 そうっと、目を開けると、そこは一面、うす紫色に染まったお花畑でした。山のすその方まで広がっています。
 そう……、ぼくが生まれ育った町のはずれに、こんなお花畑があったっけ。
 そこへ、どこからか、歌声が聞こえてきました。
「ひぃらいた ひぃらいたぁ
 なぁんの はぁなが ひぃらいた……」
声のする方へ目をやると、誰かいます。一人の女の子が、うす紫色の、ぼくの庭のとおんなじお花で、いっしょうけんめい、なにか作っていました。
「れんげの はぁなが ひぃらいた……」
と、ぼくがこそっと小さい声で続けますと、そのまっ黒のまん丸の目がこちらを向いて、じっと見つめました。
「あ。」
目が合った瞬間、ぼくは声をあげてしまいました。だって、お花やさんで会った、あの女の子だったのですから。
「あぁ……。」
ぼくは、思い出しました。小学生だったころ、このれんげのお花畑がいっせいに色づく、この季節にだけ、転校してきて、またすぐに、よそへ行ってしまう女の子のことを。その子の名前は、たしか「咲」さきちゃんっていいました。さきちゃんのお父さんは、養蜂といって、みつばちを飼いながら、ハチミツを集めるお仕事をしていました。だから、さきちゃんは、お父さんといっしょに、あちこちのお花畑へ行くために、日本中をトラックで旅しているのでした。
 そんなことを、ぼんやりと思い出していたぼくに、さきちゃんは、まぁるく輪にしたれんげのくびかざりを両手でかかげて
「ほら、できたわ。」
と、言って見せてくれました。
 そして、ぴょんっと立ち上がり、背伸びして、ぼくのくびに、できあがったばかりの、れんげのうす紫が美しいくびかざりを、かけてくれました。こそばゆい顔してつっ立ったままのぼくの顔を見て、さきちゃんは、小さく両手でパチパチと手をたたきました。にっこりほほえむ顔に、ぼくは、またハッとしてしまいました。右のほっぺたにだけできる小さなえくぼを見て、にわかに、この日のことが、思い出されてきたのです。
 もうすぐ、ぼくが、ここに来るはずだったのです。小学生の……。そう、この日の夕方、さきちゃんは、もっと山の方へ、お父さんと出発してしまうのでした。その前に、ぼくはお花畑をさきちゃんに案内してもらいながら、みつばちを見せてもらう約束をしていたのでした。
 なのに??。
なのに、ぼくは、間に合わなかったのです。
 そして、この日から、さきちゃんがこの町に訪れることはなくなってしまったのでした。
 ぼくは、新しく、れんげのくびかざりを編み始めていたさきちゃんに、
「ちょっと、待ってて。」
と、言って、かけ出しました。
「ぼくを見つけなくちゃ。ぼくを助けなくちゃ。」
と、つぶやきながら、町へと続く一本道を走りました。走りに走りました。
 いました。ちょうど、小川の橋の手前で、やせた小さなぼくが、自転車ごとひっくり返っているのを見つけました。
(間に合わなかった……。)
どうせなら、転ぶ前に見つけたかったのです。急ぐぼくの自転車の車輪が、でこぼこ道に入ったとたん、小石を拾ってしまったのでした。その時の傷のあとが、まだ、ひざこぞうに残っています。ころんだショックで全身がしびれていたことを思い出しながら、
「早くっ。」
と、ぼくは、ぼくを抱き起こして、背中におぶって、もと来た道をひきかえしました。
 どろんこで、すり傷だらけの、小さなぼくを、どうしても、さきちゃんのところまで連れていきたい一心で走りました。耳もとで、巣箱に帰るみつばちたちのブンブンいう音がします。あっという間に、みつばちたちには追い越されて、ぼくの息急き切る声だけが聞こえていました。

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