ミツバチの童話と絵本のコンクール

ミツバチ、鼻にはいった!

受賞白川 ミコト 様(愛知県)

鼻の穴に、ミツバチがもぐりこんだ。
 ぼくの鼻ではなく、ママの鼻の穴だ。ママはれんげ畑のにおいをくんくんと、鼻の穴をひろげてかいでいたのだ。あかむらさき色の小さな花に、顔をうずめるようにして。
「ケン。あなたもかいでみたら?あまいにおいがするわ」
 ぼくが首をよこにふると、一匹のミツバチが、すごいはやさでとおりすぎた。なにかをおいかけているかのように。そして、すぽっとママの鼻の穴にはいった。
「むむむっ…」
 一瞬、ママはかたまった。それから頭をふったり、とびはねたり、ミツバチを鼻の穴からおいだそうとした。ところが、ミツバチは鼻のおくまでもぐってしまった。
「ぶぶぶぶぶぶぶ…」
 ふいに、れんげ畑のむこうがわから、ミツバチの集団がやってきた。ぐるぐると、あたりを見まわして、だれかをさがしているようだ。ぜんぶで八匹。
「あの子たち、あたしをさがしているわ」
 突然、ママが口をひらいた。
「あたし?」
 ぼくは首をひねった。
 ママは、自分のことをあたしなんて言わない。かならず、わたしと言う。本と自然が大好きなおじょう様だ。そして、とても気がつよい。結婚しないで、ぼくを産んだ。
 だから、ぼくには、パパがいない。
 でも、そのことで、ママをうらんだことはない。ママはじまんの腕をふるって、毎日の食卓をとてもにぎやかにしてくれる。からっぽのいすも気にならないほど。
「あたしの名前は、ミツバチのキャッチ。あなたの名前は?」
 ママは銀色のメガネをかけなおして、ぼくの顔をのぞきこんだ。これはもう完全におかしい。ぼくの名前をきくなんて。メガネのおくのママの目は、ママじゃない。
「ぼくは、ケン。正確には、ケンタロウ」
「ふーん。としはいくつ?」
 ママは次々と質問する。
「どこからきたの? ここの土地の人じゃないでしょう? なまりがないもの。こんな田舎になにをしにきたの?」
 ぼくはできるかぎり質問に答える。としは十二才。きのうの夜、東京から夜行列車でひっこしてきたばかり。けれども、ここに来た目的は、ぼくにはぜんぜんない。
「ママのわがままさ! ママがどうしても田舎で暮らしたいって」
 ぼくは思い切って口にした。目の前のママは、ほんとうのママではないのだから。ぼくは東京の小学校を好きにはなれなかったけど、嫌いでもなかったのだ。それなのに…。
「へー。ママと二人で、田舎の暮らしにあこがれてやってきたの!」
 キャッチと名乗ったママは感心している。
「あなたのママ、センスがいいわ。ここでの暮らしはさいこうよ。空気もおいしい。水もきれい。養蜂場もあるから、しんせんなはちみつも手にはいるわ」
「おまけに、無農薬の野菜も売っているんだろう?」
 ぼくは口をはさんだ。
 ぼくには、食べられないものがたくさんある。にわとりの卵、バターに、牛乳。まだまだある。もし食べると、体中にぶつぶつができてしまうのだ。
 だから、ママは、野菜も無農薬にこだわっている。もちろん、おかしだって、砂糖とバターをつかわずに、はちみつと乾燥フルーツをいれた手作りだ。
「田舎の暮らしのみりょくについてなら何回もきかされたよ」
 ぼくはうつむく。
 ママのお仕事は、もの書きだ。原稿用紙のマスメをたくさんの文字でうめてポストに入れる。東京じゃなくても、どこでだってできる。でも、ぼくの野球は…。 「あーあ!」
 声は、キャッチのものだった。
「人間の鼻の穴になんてはいったから、野球のつづきができなくなっちゃったわ!」
「野球?」
 ぼくがたずねると、
「えぇ、花粉だんごって知っている?」
 キャッチはあぜ道を歩きはじめた。
「知らない」
 ぼくもいそいであとをおう。
「あたしたち、ミツバチはね、花粉をバスケットにいれてもちかえるのも仕事なの。そのときに作るのが花粉だんごよ」
 キャッチは、手のひらでおだんごをにぎるしぐさをした。
「養蜂場は、あの山のふもとにあるわ」
 キャッチがゆびさした山は、ぼくらの背中のほうにある。
「ほんとうは、あたしたちは、とてもはたらきものなのよ。でもね、毎日、何回もハチの巣と花とをおうふくするから、そのうち、だんだんあきてきちゃう…」
 キャッチはにやりと笑った。
「そこで、草野球よ!」
「野球するの?」
「えぇ、毎日」
 キャッチはうなずく。
「あたしたちは、さぼりガールズって呼ばれているの。つまり、仕事さぼりの九人組っていう意味。野球は九人でするでしょう?」 「そんなことくらい知っているよ。ぼくも野球をしていたもん」
 ぼくはすねた。すると、
「ははぁーん。ケン、さては、あなた万年補欠組みでしょう?」
 キャッチは、ぼくの顔をのぞきこんだ。ほんもののママとだって、こんなに顔を近づけて話をしたことはない。ぼくは、思わずしりぞきながら、
「ひかえのピッチャーだって言ってくれるかな。背番号は十一だよ」
 キャッチにもんくを言った。
「あら、ケンはピッチャーなの! あたしはキャッチャーよ!」
 突然、キャッチは走りだした。まるで春一番のようなはやさだ。そして、きゅきゅっとブレーキをかけてとまると、水色の空をあおいだ。
「オーライ!」
 キャッチは声をあげた。ほんとうにボールが見えているかのように。
「かんたんなキャッチャーフライをとろうとしていたら、きゅうに、あたりが暗くなったのよ。すっかりボールを見失ったけど、あたしはあきらめなかった」
 キャッチは、えへんとむねをはった。
「なにせ、ノーアウト満塁から、やっとツーアウト満塁になったの。ここでとらなければピッチャーにもうしわけないわ。そこで、思いっきりとびこんだのよ」
「ママの鼻の穴に?」
 ぼくは笑いをこらえた。
「それはあくまでも結果。とびこんだことに意味があるのよ」
 今度は、キャッチがすねた。

 いつのまにか、でこぼこ畑で、おいかけっこがはじまった。ぼくらは、ほりおこしたばかりの土の上を走り回った。ママはつかまりそうでつかまらない。
「ママは、こんなにもすばしっこくないはずだ。それに、散歩は好きだけど、運動は嫌いだ。いったいどうなっているんだ?」
 ぼくが息をきらしてしゃがみこむと、キャッチはとくいげに笑った。
「あたしが、ママの頭の中をおかりしているからよ。あたしは、足がはやくて肩がつよくて、バッティングもよくて頭もきれる、四拍子そろったキャッチャーなの」
 キャッチは、ごそごそと、しげみにはいっていった。どうやら草のツルを集めているようだ。五、六本ちぎると、手の中できようにつなぎあわせている。
「ねぇ、キャッチ、さっきは、どこのチームと試合をしていたの?」
 ぼくがたずねると、
「きまぐれガールズとよ」
 キャッチは、ボールのかたちにあんだ草のツルをほうり投げた。
「ようするに、気まぐれに仕事をさぼる、ミツバチの九人組よ。チームならもう一つあるわ。名前は、まじめガールズ。この子たちはやすみ時間にしか野球をしない九人組」
 ぼくは、キャッチの投げたボールをむねの前でうけとった。
「まじめガールズは、試合のとちゅうでも始業の鐘がなると、野球をやめてしまう。九回ツーアウト満塁、まじめガールズ、一発サヨナラの場面でも。しんじられる?」
 ぼくはしんじられないと首をふった。キャッチも、そうでしょうって笑った。
「気持ちのいい風ね。せっかくだから、あたしとキャッチボールでもしない?」
 キャッチの言葉に、ぼくはびっくりしてしまった。中身はミツバチのキャッチでも、外見はママなのだ。ママとキャッチボールをしたことなんて、生まれてこのかたない。
「ほら、はやく投げかえしなさいよ!」
「うっ、うん」
 ぼくはかたくなって、とんでもなくはやくて高い球を投げてしまった。すると、
「ぱちーん!」
 キャッチは、一メートル以上ジャンプしてうけとめた。
「ナイスボール!」
 キャッチは、はしゃぎながら叫んだ。
「いいボールを投げるじゃない!」
 ママにほめられているみたいで、ぼくはなんだかうれしくなった。ぼくらは、れんげ畑のとなりで、しばらくのあいだ、キャッチボールをつづけた。
 うっすらと浮かんだひたいの汗に、そよ風が気持ちいい。むねいっぱいに空気を吸いこむと、ほんのりあまい味がした。草木がゆれる音がする。とおくで鳥がなく。
 ママが田舎の暮らしにあこがれた気持ちが少しわかった。ここでは車の排気ガスが目にしみることも、工場の騒音に耳をふさぐこともない。
「ケン。あたしたち、ミツバチのとっておきの変化球を教えてあげましょうか?」
 キャッチが、ボールを手のひらでくるくる回している。
「えっ、ほんとうに?」
「ただし条件があるわ」
 キャッチは真剣な顔になった。
「いい? この変化球を投げるときは、バッターに、つぎ、変化球を投げますよと、宣言しないといけないの」
「どうして?」
 ぼくは首をかしげた。
「だって、ストレートを待っているバッターに、変化球を投げれば打てないでしょう?」
 キャッチはあたりまえのように言った。
「それはそうだけど…」
「勝負は正々堂々とすること! ほら、空を見てごらん!」
 言われたとおりに、空をあおぐと、白球がまいあがるのが見えた気がした。これまで何度こうして天をあおいだことだろう。ぼくのストレートは、ピンポン球のように、きれいに空へとはじかれる。
 それでも、ねずみ色のくやしさも、とけてなくなってしまうほどの晴天だ。
 キャッチの言うとおり、ぼくは、チームの万年補欠組みだった。たまに出番がまわってくる試合は、もうすでに大敗がきまったような試合ばかりだ。
「点をとられたら、おに監督にしかられるんだぞ。満塁ホームランなんて打たれたときには、ベンチにこわくてもどれないし、チームメイトの顔も見られないよ」
 ぼくがぼやくと、
「点数がはいらないと、野球はつまらないじゃないの!」
 キャッチはあきれて叫んでいた。メガネが鼻からずりおちて、口をぽかーんとあけている。おどろいた顔は、いつものママでは、とても想像できないくらいマヌケだ。
「それもそうだね…」
「ケンもそう思うでしょう?」
 ぼくは笑いだしていた。
「キャッチ。とりあえず、そのメガネをなおしてよ。それから、約束をまもるから、変化球を教えてくれないかな?」
「オーケー!」
 キャッチはメガネをかけなおした。
「この魔球は、八の字魔球と呼ばれているのよ。それには、誕生の秘話があるから」
 キャッチは腰をふってとびはねている。
「あたしたち、ミツバチは、一人で持ちきれない花粉を見つけると、ダンスをおどるきまりになっているの」
「ダンス?」
「そうよ。八の字ダンス。数字の八をよこにした形を、なぞるようにとびまわる。なかまに方角を知らせるために。ここに、たくさんの花粉があるわよーって」
 キャッチは話をつづけた。
「ある日のことです。一匹のミツバチが八の字ダンスをしていました。ところが、呼んでも呼んでも、だれもきません。みんな彼女に気づかなかったのよ」
 ぼくはうなずく。
「それでも、彼女はバスケットにはいらない花粉をかかえて、むきになっておどっていました。そして、手に持っていた花粉だんごをうっかりほうり投げてしまったのです!」
 キャッチは、手のひらのボールを、八の字に回転させている。
「ねぇ、どうなったと思う?」
 キャッチはたずねておきながら、ぼくの返事を少しも待たずに、
「こうよ!」
 回転をつけたボールを投げこんだ。ボールは回りながら、とちゅうまでストレートと同じ軌道でとんできていた。
 ところが、右に左にふわふわとゆれたかと思うと、突然、すとんと消えてなくなってしまった。
「あれっ?」
 気がついたときには、ぼくの手の中にすっぽりとおさまっていた。
「すごいや!」
「でしょう? さぁ、ケン。今度は、あなたのばんよ。投げてごらん」
 キャッチは、ボールのにぎりかたを、ぼくの手をとり教えてくれた。
 まるで、かげ絵のキツネを作るようなにぎりかただ。ひとさしゆびと、こゆびを持ちあげて、おやゆびと、のこりの二本の指だけでボールをにぎる。
「さぁ!」
 キャッチはしゃがむと、グローブを持っているみたいにかまえた。ぼくは深呼吸をしてふりかぶった。ママの大きな手のひらめがけて、ボールを投げこむ。次の瞬間、
「ぴゅーん!」
 ボールはあさって方向へとんでいった。
「わぉ! やっぱりいい球を投げるわ!」
 キャッチはボールをおいかけて走った。ぼくもあやまりながら走る。
「もっと八の字を意識してみたら。数字の八よ。まるいのが二つよ」
 ぼくはうなずくと、おやゆびで回転をかけるようにつよくひねった。
「あちゃー」
 またしても、ボールはあぜ道をころがってゆく。それでも、キャッチは笑っている。

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