ミツバチの童話と絵本のコンクール

里山のカクリ

受賞榎田 政隆 様(神奈川県)

カクリは、きょねんの夏、お母さんからわかれたカタクリの種です。
 お母さんからはなれて地面におちたあと、カクリは、アリのすにはこばれてしまいました。アリの大好きなものがカタクリの種のつけねについているからです。アリはそれだけを食べると、もう種には用はないのです。のこった種をすの外にほうりだしてしまいました。カクリは、ほうりだされたそのばしょで冬を過ごしました。
 ようやく春になって、カクリのからだが、きゅうにぽかぽかとほてってきました。「から」につつまれていたからだが、水をふくんだようになってはちきれそうになりました。そうしているうちにからがやぶれて、まず、足がのび出て土の中へはいりはじめ、こんどは、からのぼうしをつけたまま、のこったからだはゆっくりと地上へのびだしました。

 カクリは、からのぼうしをつけたままめを出しました。はじめて見る世界はとても明るくて、思わず目がくらむほどです。でも、やがて明るさにもなれて、まわりのようすが少しずつ見えはじめました。
 まわりは、まるで紙のはってない骨だけの障子のように、葉のおちたクヌギやミズナラの木の多い林の中です。近くには、もう大きな葉をひろげているカタクリのせんぱいたちが、二枚の葉を光にかざしています。しかも、二つの葉のあいだからは一本のくきがのび出ていて、その先には、花のつぼみも見えます。もうじきこのつぼみは花になるのかも知れません。
 大きな葉をひろげて日光にあたっていたカタクリのせんぱいは、ようやくめをだしたカクリのようすをずっと見ていたのです。
「やあ、おはよう! ぴかぴかの小さな小さなカタクリさん」
 カクリは、はずかしそうにその声のほうを見上げました。
「これからお日さまをいっぱいあびて、まわりのみんなとなかよしになるんだよ」
 何のことを言っているのかカクリにはよくわかりません。でも、それが同じカタクリのお友だちだということはわかりましたから、少しうれしくなりました。
「お日さまの光があるあいだに、よくあたっておくんだよ」
 べつのせんぱいも声をかけました。みんなでしんぱいしているのです。それまで不安だったカクリは、せんぱいたちのはげましの声でようやくおちついた気持になりました。
 頭の上からは、太陽の光がさしこんでいました。そのあたたかさのおかげで、カクリは少し、うとうととしてきました。
 そんなときでした。とつぜん頭の上で、大きな風がおこりました。黄色と黒のしまもようの羽根をひろげたおばけのようなチョウがいて、はばたくたびにカクリの細いからだをゆらしました。チョウはせんぱいのつぼみのまわりを飛びまわっています。
 いつの間にか、せんぱいは花びらの先を半分だけ反りかえらせていました。花が開いたのです。反りかえった花びらのあたりには、ひときわ目立つ黒い線のしまもようが見えます。これは虫にミツのありかをしめすしるしなのです。チョウはぱたぱたとはばたきながらまきこんだ口をのばして、なんども口を入れようとしますがうまく入りません。やがて、たれさがっているしべにぶらさがるように止まりました。そして、ようやく長い口を花びらのおくへとのばしました。
「きょうはいいミツに出会えたぞ」  うれしそうに羽根を動かしながら、チョウは夢中でミツをすいつづけています。
「やっとギフチョウがとまってくれた!」  せんぱいの声が、チョウのささやきと重なって聞こえてきました。花にチョウがやってきたということが、せんぱいにとってはとてもうれしいことのようでした。めを出したところから一歩も動くことのできないカタクリにとって、それはとってもだいじなことだったにちがいありません。とても美しいその光景は、まるでおしばいを見ているようで、カクリはすっかり見とれてしまいました。
 そんなことがあってから、カクリは、毎日、じぶんのからだをせいいっぱいのばして太陽の光にあてました。
 しかし、春が深くなってくるにつれて、まわりのクヌギやミズナラの木に新しい葉がぐんぐんのび出して、さしこんでくる日ざしをさえぎるようになりました。やがてカクリのいる林の中は、一日じゅう光のあたらない世界にかわってしまいました。
 そのためか、大きな葉をひろげていたカタクリたちも、しおれたようになって元気がなくなりはじめています。細いカクリのからだもしだいに弱々しくなってきました。花をさかせたせんぱいたちは、そのころになると、花のあとに三角形の実をつけはじめています。そして落ちた種をねらってアリがやってきました。
 カクリも立っていられなくなって、からだを地面に横たえました。横たわったカクリのすがたは、一本の糸のように目立たなくなりました。カタクリの花の時期はもうおわろうとしていました。こんな細いからだのままで、わたしはもうおわってしまうの? くらくなったまわりのようすの中で、カクリは、また少し心ぼそくなっていました。

 夏になりました。カクリのからだは、もう誰にも気づかれないほどで、枯れた糸のようになっています。でも土の中のくきや根は白いままで枯れることはありません。
「やあカクリ、元気?」
 からだに鎧(よろい)をつけたようなかっこうをした変な生きものゴロが、土の中のカクリに声をかけてきました。セミのゴロでした。
「きょうは仲間の見送りさ」
 ゴロにあうのは、これで二回目です。はじめてあったのは、カクリがアリにほうりだされて地面にはこびだされた種のときでしたから。ゴロは、木の根のしるを食べるために、動きまわっていました。
「今夜、せんぱいたちがこの土の中から出ていく日なんだ。六年間も土の中でこの日を待ちつづけたんだ。きょうはせんぱいの成虫式という晴れ舞台の日だよ」
 その鎧のようなからだから声をしぼりだすようにゴロが言いました。
「なあに、仲間もいっしょだもん。どうってことないよ」
「鎧のようなからだのまま六年間も?」
「これは子どものころからの制服さ。わたしらはあちこちと動き回って食べものを探さなきゃならないからね。食べものをさがさなくてもいいカクリたちとはちがうんだ。カクリは、そこでじっとしてれば花をさかせられるからね。
 成虫式はぼくらにとっては、生涯で最高の舞台だよ。いつも夢みてきたんだ。カクリもいつか花をさかせたいって夢をもっていれば、土の中にもじきになれるもんさ」
「でも、ゴロちゃんたちは動けるからいいけど、わたしたちはここから動けないよ。いつまでもここでじっと動かずにいられるのかな?」  カクリはゴロとそんな話をしながら、やはり少し不安だったのです。`夢をもつかaゴロの言ったその言葉がカクリの心の中にしみこんでいきました。
 いつの間にかゴロのまわりには、土をもごもごさせながら、仲間がいっぱい集まってきているようでした。その夜おそく、ゴロのせんぱいたちはいっせいに地上へ出て行きました。地面に出て木にのぼるもの、草や葉にはいあがっていくものなどさまざまで、みんな鎧をわって出て、羽根をゆっくりひろげて身じたくしたあと、ぬけがらをのこしたまま、成虫式へと飛びたっていきました。

 やがて、夏がおわり、うす暗かった里山に秋がやってきました。そしてまた、紙をはがされた障子のように、木の幹だけがのこりました。地面には、日ざしはさしこむものの木枯らしがふきこんできます。夜には、月も見えました。

 翌年、カクリは、また新しいめをのばしました。細いからだはあいかわらずでしたが、こんどは先に小さなふくらみができました。小さいながら葉の形をしています。せんぱいの言っていた通り、きっと、こもれ日によくあたったせいなのでしょう。
 その年もカタクリのせんぱいたちは、たくさんの花をさかせました。花にはチョウやアブやハチなど、いろいろな生きものがやってきました。花のまわりが、きゅうににぎやかになりました。でも、春が深くなってくると、また、木々の葉がしげりはじめて暗い林にかわり、地上に出ているカクリのからだは、二ヶ月あまりで枯れてしまいました。カクリは、「花をさかせる夢」をあきらめませんでした。ゴロはあれからどこへ行ってしまったのか、会うことはありませんでした。

 そのあと何年もの間、カクリはあいかわらず一枚だけの葉を出しては、いっぱい日にあてました。おかげで、地面の下のくきは、下へ下へと深くはいりこんで、まるでユリのねのようにふとってきました。
 土の中にも、カブトムシの幼虫やミミズなどの変な形をした生きものがまわりを動きまわっていましたから、カクリはそんな生きものたちに会うのもたのしくなっていました。土の中にもたくさんの生きものがいることだけでも、もう少しもさびしくありませんでした。
 春が深まって、また日ざしがさえぎられるようになると、カタクリの花や葉がかれはじめました。そんなある日のこと、ひさしぶりにセミのゴロがかおを出しました。 「やあ、がんばってるね」
 鎧のようなゴロのからだは、大きくぱんぱんにふくらんでいました。
「動けないから、ここでがんばっているだけだよ」
「ひさしぶりに見ると、ずいぶん大きくなったね。もうじき花をさかせることができるんじゃないの?」
「ゴロちゃんも成虫式が近いんじゃない?」
「うん。そうなったらいいけどね。ぼくらにはチョウのように、何も食べない`さなぎaの期間がないから、いつ夢の成虫式になるのか、よくわからないよ」
ゴロはクックッとふくみ笑いしました。
「いろいろな生きものに会えるってたのしいだろう。友だちはたくさんできた?」
 ゴロは、まるで哲学者のようにたずねました。
「いろいろな生きものにいっぱいであったけど、みんな知らんぷりばっかりよ」
「知らんぷりしてるようでも、おたがいが気になって気になってしかたないんだ。みんな用心深く生きるしかないからね」
「そうかな? そうなの?」
「そうさ。みんないっしょに生きてるんだから。みんな友だちなのさ」
 みんないっしょに生きているんだから というゴロの言葉が、カクリの心の中を風のようにながれていきました。
「じつはね。今夜、ぼくは地上に出て行くことになったんだ。そう思うとカクリのことが気になってちょっとよってみたんだ。でもからだもずいぶん太ってきているし、花をさかせる夢も強いようだし元気にしててよかったよ。
 きっと来年はカクリの番かもしれないよ。花をさかせたら、また地上で新しい友だちとも会えるから。ぼくらセミとちがって、カクリたちは花が枯れたあとでも長生きらしいからね。これでもう会えないかもしれないけど、カクリがんばってね」
 ゴロは、それっきりカクリの方をふりかえることもなく、ひっしに土をかきわけはじめ、ひとりで地上へと向かいました。その日成虫式へ出ていったのは、ゴロだけのようでした。
「ありがとう、ゴロちゃんしっかり!」
 カクリが、ゴロのうしろからさけんだ声は、いつまでも土の中で反響していました。
 セミたちが夜になって地上に出るのは、鎧のようなからをはずして羽根をのばすまでの身動きのとれない間に、敵におそわれないようにするためです。セミは木の幹に卵をうみつけますが、幼虫になると土の中におりて、およそ六年間くらします。成虫になってからは、ほんの二週間ぐらいしか生きていないらしいのです。
 ゴロが出ていったあとでカタクリのせんぱいが話しているのを聞いて、カクリはおどろきました。
 その年も里山の夏が終わり、木々の葉が赤や黄色に色づきはじめました。しかし、色づいた葉を吹き飛ばすように、こんどは木枯らしがやってきて、また冬にかわりました。

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