ミツバチの童話と絵本のコンクール

金のみつばち

受賞水凪 紅美子 様(群馬県)

 二月初めの冷たい雨。
 僕はなるべく滴がかからないように、軒下で身を縮めた。
 すぐに止むと思って学校を出たけれど、むしろ雨は強くなった。雨宿りしようとシャッターの降りた店先に飛び込んだのが数分前。
目のまえの庇から落ちる滴は、どんどん大きく、多くなる。自分でも気がつかないうちに、自然にひとりごとを言っていた。
「ついてないなぁ。今日はホントについてない」
 すると、思いがけなく声がした。
「今日は、ってわざわざつけるとこみると、他にもついてないことあったわけ?」
 僕はびっくりして飛び上がった。見ると、ちょっと離れたところで、やっぱり雨宿りしているやつがいる。見たところ、僕と同い年くらい。けど、みかけない顔だ。
 びっくりしたせいで、僕はちょっとムッとした。
「何だよ、いきなり。いつからいたわけ?」
 相手はいたってのんびりと、笑って言った。
「君が来るまえから。ここ、うちの店なんだよ。開店は三月だけど。
 先月末に父さんと引っ越してきたんだ。で、この辺探検してたんだけど、いきなり雨になったから、ここに逃げ込んできたわけ」
 なるほど、店のシャッターの前には、『近日開店』の札が下がっている。
「君、名前は?」
 君、というキザな言い方にまたムッとして、僕はぶっきらぼうに答えた。
「人に名前を聞く時は自分が先に言えよ」
「それもそうだね」
 相変わらず、にこにこしている。
「純、っていうんだ。波多野純。波に多い、野原の野で、波多野。純は純粋の純」
「森村凉太。りょうたは、凉しいに、太い」
 思わず僕もくわしく答えてしまった。
 改めて相手をじっと見た。引っ越してきた、というけど、うちの学校に転入するのかな。女子にもてそうな感じだと、僕は思った。  悔しいけどキザなせりふも似合うアイドル顔で、背も高い。髪も目も茶色っぽくてソフトだけど、  夏の日焼けがまだ頬に残っているところを見ると、スポーツもできそうな感じだ。黒のジャケットとジーンズが似合っている。
「緑ヶ丘小に、転入すんの?」
「ううん。もう二月だから、今からじゃ中途半端でしょ。卒業まで前の学校に通って、中学からこっちの学区に変わるつもり」
 やっぱり同い年だったのかと僕が思ってると、またにこにこして、純、というその変わったヤツは聞いてきた。
「でさ、話戻るけど、ついてないって、どういうこと?良かったら聞かせてくれない?」
 良くないよ。そういいそうになったけど、こっちが脱力するほど相手がにこにこしているので、つい、考え直した。
 それにちょっと、誰かに聞いてほしい気持ちがあったのかも知れない。
「……そう、そもそもの始まりは、昨日母さんにミツバチのブローチを見せてもらったことなんだ…」
 それは昨日の午後、リビングのテーブルのはしっこに置かれていたんだった。
 金色の、ミツバチのブローチ。僕は一目で気に入った。大きさは三センチほどで、本当のミツバチよりだいぶ大きい。  そのせいかとてもリアルに作り込まれていて、今にも飛び立ちそうだった。

「母さん、これ、何?」
「ああ。それね」
 なぜか母さんは困ったような顔になった。
「アクセサリー入れを整理してたら出てきたのよ。大学の先輩の、海外旅行のお土産なんだけどね、 ちょっとする気になれなくてしまいっぱなしになってて」
「気に入らないの?」
「ていうかリアルすぎるじゃない?いかにも虫、って感じで。もう少し可愛いキャラクターになってるといいんだけど」
 リアルなのがいいんじゃないか。センスないな、と思いながらちょっと聞いてみた。
「気に入らないなら、これくれない?」
 え、と母さんはためらったがやがて、
「これなら、男の子がしてもおかしくないのかな。もらったものをあげるのも何だけど、使わないのはもっと悪いものね」
 そうして、思ったよりあっさり、ブローチを僕にくれた。
「でも、大切にするのよ。それと、学校に持って行くのは駄目だからね」

 だけどつい、今日僕は学校に持ってきてしまった。思えばそれが悪かったんだ。
 クラスの女子の反応は母さんなみだった。
 ちょっと引く子が半分くらい、虫はどうしても駄目、と、泣きそうな顔になる子もいた。  綺麗、とか、よく出来てるね、という子でも、自分がするのはパス、という意見だった。

「へえ。ミツバチって可愛いのにね」
 いきなり、純が話に割り込んできた。
「それに働きバチは、みんな雌なんだよ。あとそう、ハネムーンていうのは、結婚してから一か月間、蜂蜜のお酒を飲んで祝った古代ゲルマン民族の風習がもとなんだって」
 もう少しでへえ、と言いかけたけど、何となくムッとして僕はイヤミっぽく言った。
「ロマンチックなこと言うね。何だか女子みたい」
 それまでにこにこしていた純が、え、と、一瞬だけ眉をひそめた。
 でもすぐにまたにっこりして、
「そうかなぁ。父さんの受け売りなんだけど。
それに案外男の方がロマンチストじゃない?」
「そうかもしれないけど。そんなことより、話はまだ途中なんですけど」
「ごめん。続けて、続けて」

 女子にくらべて男子は、反応がよかった。
 虫は駄目でさ、と言う奴もたまにはいたけど、たいていはカッコいい、と言ってくれた。  ただ、一人に、そのブローチくれない?としつこく言われたのには、困った。
 二組の、須賀高志だった。タカシとはクラスは違うけど、必修クラブが同じ美術で、ふだんからよく遊ぶ。  二人とも絵を描くのが好きだから、話も合うんだ。でも、いくら仲良しの友達が相手でも、このブローチだけは駄目だと思った。  母さんに悪いし、何より僕自身が気に入っている。
「じゃあ、今日だけちょっと貸してくれない?ミツバチの絵を描くのに、丁度いいモデルが欲しかったんだ」
 僕は、ぴんと、きた。卒業製作だ。
 今年の僕ら六年生は、卒業製作に寄せ書きを作ることになっている。  壁に張られた大きな紙に、将来の夢や中学でやりたいことなどを書き入れて一つの絵にする。  僕ら一組は花壇、二組はミツバチの巣、三組は星空がそれぞれのテーマだった。
 それにクラスの仲間が、それぞれ花や、六角形の巣や、流れ星の中に一人ひとこと書き入れるというわけ。  そして背景の絵は、三組担任で美術クラブ顧問の笹野先生が、だいたいの構図を決めた。  そして絵が得意な生徒が一人か二人、代表でそれを描く。その一組代表が僕で、二組がタカシだった。
「巣の周りに、花や飛んでるミツバチを描くつもりなんだ。図鑑を見ながら描いてるけど、モデルがあった方が描きやすいから。 ね、貸してよ。用が済んだらすぐ返すからさ」
 僕は正直、ちょっと迷った。何しろ昨日もらったばっかりなんだから。  だけど絵を描く大変さはお互いさまでよく分かるし、けちだと思われるのも嫌だった。
「いいよ。でも今日中に返せよな」
「今日中?でもリョータも今日は残って絵を描くもんな。なるべく早く描いて返すよ」

タカシの言ったとおり、僕も残って放課後は絵を描いていた。
 でも正直、うまくいかなかった。
 クラスのみんながメッセージを入れる花は、笹野先生が型紙を作って、同じ形を並べてる。その周りに僕はパンジーを描いた。  それは何とかうまく描けたと思う。
 でも、空は思い通りいかなかった。もともと僕は、空を描くのは好きなんだ。  でも、僕の得意なのは鉛筆画で、空を一面に塗ったところを、ねりゴムっていう伸ばしたり、尖らせたり出来る消しゴムで、  あるところは薄く、あるところははっきり消して、いかにも雲らしくするのが好きだった。  うまくいくと、モノクロの写真みたいにリアルになる。
 でも卒業製作の絵は色をつけるし、紙も僕の好みより目があらかった。  水彩紙、という紙の一種で、模造紙より豪華だけど、僕はもっと目の細かいすべすべした紙が好きだったから、  ちっとも嬉しくなかった。
 でも、色をつけるのが得意なタカシは、『水の吸いがとってもよくて、色も鮮やかに出るんだ』って喜んでたっけ。  それを考えると何だかイライラしてきた。
 ますます悪くなりそうなので、取りあえず道具を少し片付けて自分の席で考え込んでいると、当のタカシが教室に入ってきた。
「イヤー、うまくいったよリョータ。やっぱモデルあると違うね。感謝、感謝」
 こいつすでにオヤジか。とぼけた声に僕のイライラは頂点に達した。
 僕の機嫌が悪いのを見て、ちょっと不安になったらしい。タカシは、ありがとう、ここに置くよ、と小さな声で言って帰った。
 けど、僕はそっちを見もしなかった。
 そうして、今日はこのまま切り上げて帰ろうかな、と思った時だった。
「ちょっといいかな、森村君」
 見ると担任の竹内美津子先生だった。
「卒業製作してるとこ悪いんだけど、ほんの五分か十分、教室貸してくれないかな。 何だか雲行きが怪しくなったんで、早めにソフトの練習切り上げようと思って」
 竹内先生は地域のソフトボールクラブのコーチをしている。メンバーのほとんどはウチの学校の高学年の女子だし、  更衣室がない時は、前にもこの教室を使ったことがあった。
「急で本当に悪いんだけど。乗ってたとこだった?」
「全然です。もう帰ろうかと思ってたし」
「じゃ、片付け手伝うから先に帰る?雨降りそうだし」
「いや、先使って下さい。僕、そのあいだ筆とか洗ってますから」
 慌てて教室を出たのは、大勢の女子たちと顔を合わせたくなかったからだった。
 だけど戻るのがちょっと早かったらしく、二人の女の子と廊下ですれ違った。
「ねぇ、先生に言わなくてよかったかな」
「わざわざ、いいんじゃない?それにあの場所って、いかにもぴったりだったじゃない」
 そんなことを言いながら、くすくす笑って通り過ぎていった。
 僕は肩をすくめて、急いで教室に戻った。
 片付けをして、帰りの用意をしているうちに、ふと、僕は気付いてハッとした。
 タカシが机の上に置いてったはずの、ミツバチのブローチがない!
 慌てて机の下を見たけど、やっぱりない。
一瞬、ソフトの女の子の誰かが持って行ったのか、と思ったけど、今朝のクラスの女子の反応を思い出して、それはない、と思った。
 そして、次に思い付いたのは、タカシがブローチを返すところを実際は僕は見ていないこと、  それにあれをタカシがとても欲しがっていたこと、だった。
 僕は急いで校庭を出た。学校内では携帯を使ってはいけないきまりだからだ。
 タカシにかけると、すぐつながった。
「なあ、あのブローチどうした?」
 いきなり僕がそう言ったので、タカシは驚いたみたいだった。
「どうしたって、返したじゃん」
「それがどこ探しても無いんだよ。もしかしてお前が持ってるんじゃないかと思って」
「はあ?」
 最初は戸惑っているだけだったタカシの声が、だんだん尖ってきた。
「何それ、おれを疑っているわけ?ジョーダンじゃないよ、ちゃんと返したからな!
だいたいちゃんと受け取りもしないで、態度悪かったのそっちじゃん。どうかしてるよ」
 そう言って、タカシは電話を切った。

「その後は、急に降り出した雨のせいで、ここに逃げ込んできたわけ」
 僕がそう言って話し終わると、純はちょっと考え込んだ。
 けれどすぐに、僕の方をまっすぐ見て、
「今でも、タカシ君がブローチを持って行ったんだと思ってる?」
「……本気で疑ってはいないけど。今から思うと、自分がうまく絵が描けないもやもやをぶつけちゃった気もするし。 でも、タカシじゃないとしたら、誰がブローチ持って行ったわけ?やっぱり女の子の誰か?」
 すると純はにっこりして、こう言った。
「それについては、ちょっと考えがあるんだ。取りあえず学校に戻らない?雨もだいぶ小降りになってきたよ」

 下校時間が迫っていたので、僕たちは小走りに廊下を急いだ。
 なのに教室に入るなり、純は壁に貼られた卒業製作の絵に、のんきに目を走らせ始めた。
「そんなのはいいから」
 できの悪い絵を見られる恥ずかしさで、僕が乱暴に言うと、純は黙って指差した。  僕がそこに目をやると、その、パンジーの絵の真ん中に、ミツバチのブローチが留めてあった。
「あの場所って、いかにもぴったりだったじゃない」
 純が、すれ違ったあの時の、女の子の言葉を繰り返した。
「君が急いで教室を出た時これが床に落ちて、それを女の子が拾ってここい留めたんだよ」
 こんなところにあったのか。ほっとしたけど、タカシを疑ったのを思い出すと恥ずかしかった。  照れ隠しに、僕は怒った声で言った。
「こんなとこに留めちゃって。絵に穴が開いちゃったじゃん」
「うん。でも、とても花がよく描けてるから、ついミツバチをとまらせたくなったんだよ」
 相変わらずにっこりとして、純は言った。

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