ミツバチの童話と絵本のコンクール

ハチミツ色の傘

受賞鎌田 佑里 様(東京都)

 11月もおわりかけた、ある寒い冬の日のこと。旅人は、大きなあくびを1つ、2つ、
「ふわあぁぁぁっ。」
3つすると、高く伸びをした。
 長い道のずっと先を見つめる。まだ、何も見えない。北風がぴゅぅぅっと吹きぬけた。
 旅人は、長いマントの様なベージュのコートをしっかりと着こむと、またゆっくり歩き始めた。

 少し向こうに丘が見えてきた。旅人は少々ほっとしながら、歩調を早めた。丘の向こうには、町があるはずだ。
 なだらかな丘を、少しずつのぼっていくにつれてだんだんと向こうの景色が見えてくる。そんな時間は、いつも旅人を期待させ、楽しませてくれた。
 丘をこえると、小さな町が現れた。旅人はその町を丘の上から、悠悠とながめた。
 赤い屋根や、緑、青の屋根がぽつん、ぽつんと見える。どれも、とてもりっぱな家だ。庭の花壇には、冬だというのにやけに鮮やかな花が咲いている。町には、平和で暖かい空気が流れていた。
 旅人は、ゆっくりと丘をくだっていった。
 空をみると、黒い雨雲が一面を蔽って今にも雨が降り出しそうだった。
「これは、降ってくるぞ。」
旅人はつぶやくと、足早に町に向かった。
 やっと、町のはずれに着いた頃には、雨の滴がぽつり、ぽつりと地面をぬらしていた。
 旅人は、どういうことかたまたま傘を持っていないことに気がついた。そこで、とりあえず雨がひどく降り始める前に、雨宿りをすることにした。
 旅人は、向かいの通りにある古い雑貨屋にはいった。

 扉を押すと、カランコロンというベルの音が店に鳴り響いた。
 薄暗い店の中は、オルゴールの音が流れて、かすかに紅茶の香りがした。
 店は外から見たときよりも広く感じた。店の中央には、テーブルが3つ並んでいて、そこにはそれぞれ木製の花もようのオルゴールや、水色や桃色のガラス玉 がついた指輪などが置かれていた。
 まわりには、大きな振子時計や古いタンスやソファーが並んでいる。壁には、空に浮かぶ気球の絵がりっぱで頑丈そうな額にいれられて飾ってある。
 他にも、店にはたくさんの不思議でおもしろそうな物が置いてあった。
 旅人は、少し興奮気味に店の中を見て歩いた。
 旅人は元々、珍しい不思議な物が好きだ。今まで旅をしたたくさんの国でも、さまざまな変わった物を見てきた。
 旅人が戸棚の青い瓶に手を伸ばした時、店の奥でカタン、と物音がした。
 旅人が音のした方を見ると、店の奥にあった扉から、小さなおばあさんが出てきた。
「いらっしゃい。」
そう言うと、店のカウンターのうしろにある揺り椅子に「よいしょ」と腰をおろした。
 店主らしいそのおばあさんは、70歳後半くらいで小さな丸眼鏡をかけて黄色いエプロンをしている。いかにも優しそうな雰囲気をしていたが、丸眼鏡の奥の瞳は不思議な光を放っていた。
 旅人がぼーっとおばあさんを見ていると、おばあさんの目がちらりと旅人を見た。
 おばあさんは、丸眼鏡をかけ直すと旅人を見て言った。
「何かお探しですか?」
「えっ、あ、はい。傘を。急に雨が降ってきたので……。」
旅人は我に返って、あたふたと答えた。
「傘だったら、そこに何本かありますよ。」
おばあさんは、カウンターのすぐ横を指さした。
「あ、どうも。ありがとうございます。」
 旅人が見ると、銀色の傘立てに10本くらいの傘がいれられていた。
 けれど、どれも古くて銀色の細い骨の部分が錆びてしまっていて、もう、何十年も前からここにはいっているみたいだった。
 旅人には、これからの旅でいつも持ち歩けて、ずーっと使えるようなしっかりした傘が必要だった。
 旅人は、少しでも良い傘がいいと思って、傘を1本ずつ傘立てから抜き出して他の傘と比べてみることにした。
 すると、黒や紺色の古い傘にまぎれて1本だけ明るい色をした真新しい傘が出てきた。
 旅人はその傘を抜き出して、まじまじと見つめた。
 その傘は、きれいなハチミツ色をしていて、いつも、どこへも、持ち歩けそうだし、ずっと一緒に旅ができそうな丈夫でしっかりした傘だった。
 旅人は、この傘なら大丈夫だとうなずいた。
 すると、すぐ横のカウンターからおばあさんが、旅人に声をかけた。
「その傘はね、とても素敵な傘ですよ。」
「はい。ぼくも今、そう思ったところです。」
 旅人が言うと、おばあさんはにっこり微笑んだ。
「その傘には、魔法がかけてあるんです。」
「え?」
おばあさんの丸眼鏡の奥の瞳が、あやしくきらりと不思議な光を放った。
「その傘は、世界に1つしかない魔法の傘なんですよ。」
おばあさんの言葉が、旅人の頭から体中にかけめぐった。
「まっ、魔法?ど、どういうことですか?」
旅人はカウンターから身をのり出した。
 ハチミツ色の傘を持つ手には、さっきよりも力が込められている。
 旅人は、おばあさんの言ったことが本当なのか嘘なのかもわからないまま、おばあさんに詰め寄った。
「どういうことですか?教えてくださいっ。」
 おばあさんは、楽しむように言った。
「なんてことはないんですよ。その傘は、春を連れてくる傘です。」
「春?」
「そう、春です。元々その傘は、春の精などが持っているはずの物なんですけどね。なぜか、この店に置くことになりました。」
「……。」
 旅人は、なんとか気持ちを落ちつかせようとした。しかし、それは思うよりも難しいことだ。
 旅人は、手に持ったハチミツ色の傘を見つめた。―魔法、春を連れてくる傘、春の精…。春の精?どうも変なことを言うおばあさんだ。 信じていいのだろうか。果たして本当のことだろうか、それともただの作り話なのか―。
 旅人は、信じようとする気持ちを振り払うように頭を横に振った。
「魔法だなんて、まさか。そんなものあるわけありません。だって、魔法使いや妖精は架空の生き物じゃないですか?」
 確かに、旅人は今まで数えきれないほどたくさんの国を旅してきたけれど、魔法使いはもちろん、春の精になんか会ったこともなかった。それに、 今までずっと、そういうものは存在するわけがない、と思って生きてきたのだ。だから、今さらここで、本当は存在すると信じるのは難しかった。
 すると、おばあさんは「わかりました。」とうなずいた。
「まぁ、しょうがないですね。今までありえないと思っていたことを、簡単にありえると認めることは難しいことでしょう。だけどそれを見てしまえば、認めざるをえなくなります。」
おばあさんは、にっこりーいや、にやりと笑ってみせると、ハチミツ色の傘を指さして言った。
「その傘を開いてごらんなさいな。じゃあ、貴方は、私がいいと言うまで目を閉じていてください。」
旅人は目を閉じた。そして、おばあさんの言う通りに傘を両手でしっかり持って、頭の上で大きく開いた。
「傘が貴方にだけ、春を連れてきてくれます。……じゃあ、目を開いてください。」
おばあさんは、唄うように言った。
「よい魔法を。」

 旅人はかすかに、頬にあたたかい風を感じた気がした。
 旅人は、そっと目を開いた。
 目の錯覚だろうか。一面、黄色だ。見わたすかぎり全部、どんなに遠くを見てもどこまでも黄色が続いている。
 それは、よく見るとみんなたんぽぽの花だった。他にも、たんぽぽの中にちらほらと、レンゲ、すみれ、イヌフグリ、ヘビイチゴの花を見つけた。チューリップはあちこちで、まとまって咲いている。
 旅人はこんなに広い花畑を見たのは初めてだった。しかも、自分はそこに立っている。
 誰もいない、誰も見えない。旅人は、このままたんぽぽにすいこまれて消えてしまうんじゃないかと思った。まるで、世界中の人がそうやって消えてしまったみたいだった。
 耳をすませば、どんなことも聞こえる気がした。じっと耳をすませて、長いことそこに立っていた。時の流れも、今なら感じることができた。
 風が吹いた。あたたかくて軽い、優しい風。春風はおどるように吹きぬけていく。
 春風にのって届く音は、優しくてあたたかくて、なつかしい気がした。
 どこか遠くで幸せそうに笑う誰かの声。ポロン、ポロンと音をたどるようなピアノの音。喜びははばたく小鳥のさえずり。散歩道で口ずさむメロディー。
 みんな聞こえる。それは、春風にのって吹きぬける、春の唄。
 春風は、花畑中を吹きぬけた。たんぽぽにもすみれにも、ミツバチにも青空にも旅人にも、唄を届けて消えていった。
 春の唄は、今では花畑いっぱいにあふれていた。花はますます咲きみだれ、空はさらに青く、高くなっていく。
 旅人は、花の上に寝そべって耳を地面に押しあてた。
 ミツバチの羽音が聞こえる。ミツバチは、花から花にミツを運んでいった。甘い香りがした。
 空には、形の決まらない雲がゆっくりと静かに流れていた。澄んだ空色はのどかで、幸せに満ちあふれていた。
 また、春風が吹いた。

 「魔法が解けます。傘を閉じてください。」
頭の中でおばあさんの声を聞いた。
 旅人は、言われた通り傘を閉じた。どうやって閉じたかは覚えていない。確か、花畑で傘は持っていなかった気がする。
 だけど、気がつくと、旅人は店のカウンターの前に立っていた。
 薄暗い店の中では、まだ目が慣れなかった。さっきまでの、一面の黄色が嘘のようだ。
「どうでしたか?」
おばあさんが、にやりと笑って尋ねた。
 旅人は、深く息をついた。そしておばあさんを見て言った。
「春が、あんなにすばらしい季節だなんて知りませんでした。僕は、見ました。あれが魔法だと言うなら、きっと、そうなんだと思います。」
 旅人は、ほんの短い時間の間に見た、あの景色を忘れることができなかった。旅人の目から見たすべての景色が、旅人の耳から、心から感じたすべてのことが、1つ残らず鮮明に思い出された。だけど、そのついさっきの出来事が、もうずっと昔の記憶のようだった。
「貴方の目から何が見えましたか?」
おばあさんが尋ねた。何かを期待するような、そんな口調だった。
「花畑です。とてもきれいな。」
「花畑……」
「はい、たんぽぽの花です。とても広くて。一面に黄色い花が…。」
 旅人は言葉をとめた。おばあさんが、にっこり笑っていた。それは、とてもうれしそうな笑顔だった。
「そう、そうなの。よかった。じゃあ、貴方には見えたんですね?」
 旅人は不思議に思った。
「あなたは、見たことがないんですか……?」
「ええ、私は見ることができませんでした。まぁ、傘を開いたのはたった1度きりですけどね。」
「どうして……」
  「それは、物が持ち主を選ぶからです。魔法がかけられた物は、かならずそれを必要とする者を選びます。貴方は、魔法を見ることができました。 だから、その傘の持ち主は貴方なんです。」
おばあさんは、静かに微笑んでいた。
「僕が……」
 旅人は、手に持ったハチミツ色の傘をじっと見つめた。
「その傘は、この店でずっと貴方を待っていたんですよ。」
手に持ったハチミツ色の傘は、まるで生きているみたいで、何かを旅人に伝えているようだった。
「この店にある全部の物が、ずっと持ち主が来るのを待っているんです。」
旅人はびっくりして、おばあさんを見た。
「この店にある全部って……、ここにある物全部に魔法がかけられているんですか?」
 おばあさんは、にやりと笑った。
「そういう店ですから。」
 旅人は、おばあさんを見つめた。いったいこの人は何者なんだろう。
 おばあさんの瞳は、あいかわらずあやしく光っていた。
「だけど、持ち主以外の人が見れば、ここにある物はなんでもないふつうの物です。それに魅かれることも手に入れたいと思うこともないんです。その傘だって、貴方以外の人が見ればどこにでもあるただの傘にしか見えません。…おかげで、お客さんは何も買わず帰っていくばかり。まったく売れない店なんですけどね。」
おばあさんは苦笑いをしてみせたが、ぜんぜん困っているようには見えなかった。
「だけど、私はこれからもこの店を続けていくつもりですよ。ここにある物が、ちゃんと持ち主に会えるように見届けないといけませんからね。」
旅人は、少し心配になった。
「それって、どのくらいかかるんですか?」
「わかりません。だけど、どんなに長くかかっても持ち主はかならずこの店にやって来ます、導かれるように。貴方みたいにね。」
おばあさんは、いたずらっぽく笑ってみせた。
「だから、ずっとこの店で待つんです。」

 旅人は、ハチミツ色の傘をにぎりしめて立ったまま、しばらく考えこんでいた。
 おばあさんは、その様子を揺り椅子にすわって静かに見ていた。
 ふいに、旅人が口を開いた。
「あの、この傘にかけられている魔法は、幻なんでしょうか?それとも、あの花畑はどこかにあるんでしょうか?」
 おばあさんは、旅人を見た。
「魔法とは言っても、その傘にかけられた魔法は、春の精が今まで見た春の中で1番素敵だった春の景色をその傘に映し出すというものです。だから、きっと、その花畑も春の精がどこかで見た景色だと思いますよ。」
「じゃあ、あの花畑がある場所、見つけられますよね?」
旅人は、声をはずませて言った。
「見つけられないということはないですよ。だけどその花畑は、ここから離れたずっとずっと遠くの国にあるかもしれません。」
「わかっています。」
旅人は大きくうなずいた。
「どのくらいかかるかもわかりません。見つけるのは、きっととても大変ですよ。」
おばあさんは、1つ1つの言葉をゆっくりと、確かめるように言った。
「それでも、決めたんです。」
旅人は、きっぱりと言った。そして、続けた。
「僕は、いつも何かを目指して旅してきました。今までたくさんの国を見てきました。」
だけど、あんなにすばらしい花畑を見たのは初めてです。だから、僕はこれからあの花畑を、あの春を目指して旅をしていきます。」
 旅人は、ハチミツ色の傘をおばあさんの前に差し出した。
「この傘は、花畑を見つけるためにこれからの旅で僕にとって、とても必要な物です。だから、いただきます。」
 おばあさんは、にっこり笑った。
「その傘は、やはり貴方にピッタリの傘ですね。」

 外を見ると、降っていた雨はすっかりやんでいた。
「すっかり雨宿りをしてしまいました。」
「かまいませんよ。」
おばあさんは笑った。
「あの、じゃあ代金の方を。」
旅人は肩にかけていた大きな布の袋をカウンターにおろして言った。
「いいえ、代金はいりません。」
「え?でも……」
「そのかわり、」
おばあさんは、にやりと笑った。
「貴方が今までに旅してきた国で手に入れた物を1つ、いただきます。」
「それで、いいんですか?」
「ええ、もちろん。」
旅人は、布袋から財布のかわりに、今まであちこちの国で手に入れた品々を、1つ残らずカウンターの上に並べた。
 その数は、数えきれないほどだった。
「さぁ、どれでもどうぞ。」
旅人は言った。
 すると、おばあさんは悩む間もなく、山のようにある物の中から、すいっと1つの物を取り出した。
「これにします。」
 おばあさんが取り出したのは、小さな朱色の万華鏡だった。今いる国からは、だいぶ離れた国で手に入れた物だ。
「こんなものでいいんですか?」
旅人が聞くと、おばあさんはいたずらっぽく笑った。丸眼鏡の奥の瞳がきらりと光った。
「これは、私にピッタリの物です。」

 外に出ると、晴れた空がまぶしかった。
「気をつけてくださいね。」
「はい。花畑を見つけたら、かならずあなたに教えます。」
旅人は、満足そうな笑顔で言った。
「ええ、楽しみにしています。」
おばあさんは、微笑んで手を振った。
「それじゃあ、さようなら。」
旅人は手を振り返すと、ゆっくりと歩き出した。すばらしい春を目指して。
 ハチミツ色の傘を持って。

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